つながる縁〔えにし〕――「貴子さん」と「孝子さん」をめぐるわたしのシンクロ体験 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

事情あって、このところ、骨髄バンクのドナー登録の場(献血と相乗り)に、いつもよりも頻繁に出動して、説明員活動をしています。昨日は相模原市役所前、明日は平塚駅前です。

 

それにちなんで、これまでにも折に触れて投稿してきた「骨髄バンクと『貴子さん』と『孝子さん』をめぐる、シンクロ体験の話」を、通しで書いておこうと思いました。

 

     *     *     *

 

「財団法人骨髄移植推進財団」(後の「公益財団法人日本骨髄バンク」)が発足したのは1991年12月でした。ドナー登録が開始されたのは年明けからでしたが、献血を通じてその種の話にはすでに耳が慣れていたわたしは、あまりためらうこともなく、1992年の3月だか4月だかにドナー登録をしました。同じころ、公的骨髄バンクが立ち上がるより前に民間有志のネットワークとしての東海骨髄バンクを1989年に名古屋で立ち上げていた元患者の大谷貴子さん(1961年6月10日生まれ)の体験記である『霧の中の生命〔いのち〕』も買って読みました。

霧の中の生命(いのち)―白血病を骨髄移植で治し、今日(いま)を生きる | 大谷 貴子 |本 | 通販 | Amazon

 

でもしばらくすると、骨髄バンクについてはまだまだ世間の認識が不足しており、初歩的誤解(骨髄を脊髄と取り違える、死後の臓器提供と混同する、など……)が多いことに気づき、「これはもっと啓発活動が必要だな」と感じました。

 

そこで手始めに、当時愛媛県松山市に住んでいたわたしは『愛媛新聞』に投書をしてみました。それが採用され、1992年11月14日の朝刊に載りました。その同じ日に、愛知県岡崎市の中堀由希子さんという白血病患者(1971年11月14日生まれで、その日がちょうど21歳の誕生日でした)が前日の宵にアメリカから空輸された骨髄液によって骨髄移植を受けることができたというニュースも同じ朝刊に載ったので、「偶然ながら、これは相乗効果があったな」と思いました。

 

さて、それからしばらくして、11月下旬だったと思いますが、ある人と骨髄バンクとは別のテーマで話をしていて「このごろの若い人の好む歌にはもうついていけない」と告白したところ、その人から「あきらめるのはまだ早い。岡村孝子(1962年1月29日生まれ)の歌を聴いてみなさい。あなたの世代の人にもわかるはず」と言われました。そこで物は試しとカセットテープを買って聴いてみました。

 

最初に買ったアルバムが『ソレイユ』で、その中の「輝き」と「Believe」がぞっこん気に入り、「この人の歌、もっと聴こう」と奮い立ち、

Amazon.co.jp: SOLEIL: ミュージック

『オー・ド・シエル』と『Kiss』を聴き終えた段階でもう完全にハマってしまいました

Amazon.co.jp: Eau Du Ciel(天の水): ミュージック

Amazon.co.jp: Kiss~a cote de la mer~: ミュージック

 

その後、芋づる式に、その時点で発売されていたほかのアルバムも全部買い、ファンクラブ入会の手続きをしました。

 

岡村孝子さんが愛知県岡崎市出身であることは、初めて届いたファンクラブ会報で知ったように記憶しています。「ありゃまあ……、あの、このあいだ骨髄移植を受けた人と同じじゃないか」と思いました。

 

その「骨髄移植を受けた人」である中堀由希子さんは、まことに残念ながら移植後のGVHDを乗り越えることができず、移植後60日目の1993年1月12日に亡くなってしまいましたが、彼女が亡くなる前の一年間、病身をおして骨髄バンクの普及啓発のために尽くした軌跡は、鳥越俊太郎キャスターの『ザ・スクープ』でも大きく取り上げられました。

 

骨髄バンクのドナー登録者数の増加が軌道に乗り始めたのは、『ザ・スクープ』の中堀さん追悼特集が放送されたころからでした。

白血病と戦う - YouTube

 

それからしばらくして、1993年の春、骨髄バンク啓発のための四国一周自転車ラリー「ツール・ド・空海」が行なわれ、そのタイミングに合わせて5月7日に大谷貴子さんが愛媛県松山市にやってきて、啓発講演をしました。大谷さんは大阪出身ですが、骨髄移植を受けたのが名古屋の病院だった縁で、回復後も名古屋に住み、東海骨髄バンクの立ち上げ、公的骨髄バンクの設立請願運動、中堀さんの闘病を支援する活動のいずれにおいても中心になっていました。

 

その大谷さんが松山に来ることを直前になって知ったわたしは、「『名前の読みが同じで、学齢も同じで、愛知県での生活歴が長い』という三点が岡村孝子さんと一緒なんだから、大谷さんも岡村孝子さんの歌には関心があるかもしれないぞ」と思い、話題を引き出す誘い水の意味で、ダビングによって自家製の「岡村孝子ベスト・セレクション・アルバム」を造り、会場で大谷さんにご挨拶する際にプレゼントとして渡しました。そしたら案の定、大谷さんも岡村孝子さんの歌は好きだ、とのことでした

 

以後、骨髄バンク啓発のボランティア活動では、何くれとなく大谷貴子さんにお世話になりました。彼女の地方講演をわたしたちのグループで企画して、お招きしたこともありました。

 

それ以来、十年、二十年と時間が流れる中で、折に触れては「あの二人のたかこさん、名前の読みが同じで、学齢も同じで、愛知県に深い縁があるんだから、もしコラボする機会があったらいいのにな」とは思っていましたが、わたしにはそんな〝緑綬褒章級〟と〝紫綬褒章級〟の有名人二人を結び合わせる力なんかありませんから、あくまで希望にとどめておきました。

 

ところがあの1993年の春から26年経った2019年の春、4月22日、驚愕のニュースが飛び込んできました。ほかならぬ大谷貴子さんの(ご自分自身が闘病経験者であるがゆえの)ライフワークのテーマである白血病という稀な病気に、よりによって岡村孝子さんが罹患して、それを公表し、「必ずみなさんのもとへ戻って参ります」と悲壮な決意を表明したというのです!

 

わたしは「絶対に助かってほしい」と祈ると同時に、57歳という彼女の年齢を考えると、「希望的観測抜きに冷静に考えるなら、生還できる確率は50%」、「もし最悪の結果となっても、受け容れなければ」と、厳しい現実を前に覚悟を迫られるような気持ちにもなりました。それと同時に、「もし助かったならば、大谷貴子さんとのトークイベントなどやって、後続の患者さんたちに希望を与えてほしい」とも切に思いましたけれども……。

 

まことに幸いなことに、26年前に比べたら格段の進歩を遂げていた医療技術の恩恵に加え、骨髄バンクとそれを補完する臍帯血バンクも充実していたおかげで、岡村孝子さんはその年の7月29日には早くも臍帯血移植を受けることができ、9月下旬には退院発表、

臍帯血移植を受けて完全寛解だそうです! | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)

歌手の岡村孝子さんが、さい帯血を移植し退院へ|新着ニュース・プレスリリース・イベント|北海道ブロック血液センター|日本赤十字社 (jrc.or.jp)

コロナ禍のため大事をとって遅らせたとはいえ、2021年9月7日には復帰コンサートを果たすことができました。

[シンガーソングライター 岡村孝子さん]白血病から回復して2年9か月ぶり復帰コンサート……「もう、ダメかもしれない」と思ったことも | ヨミドクター(読売新聞) (yomiuri.co.jp)

 

そして2023年2月12日には名古屋国際会議場センチュリーホールで「第45回日本造血・免疫細胞療法学会総会にともなう市民公開講座」というものがあり、その第二部で臍帯血移植の体験者という立場で岡村孝子さんがゲスト出演し、骨髄バンク発祥時からの中心人物である全国骨髄バンク推進連絡協議会副会長の大谷貴子さんとトークイベントを繰り広げるということになったのです。

 

わたしも「二人のたかこさん」の初の協演とあっては見逃すわけにはいかないと、新幹線に乗って現地まで日帰りし、しかとこの目とこの耳で、コラボの様子を確かめてきました。

夢をあきらめないで。。。が、失恋ソングだったとは。。。そして。。。 | 大谷貴子オフィシャルブログ「白血病今昔物語」Powered by Ameba (ameblo.jp)

 

さい帯血バンクのイメージソングになりそうな予感が…… | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)