辛口太郎のレッツぎふ クチコミレポート!! -4ページ目

辛口太郎のレッツぎふ クチコミレポート!!

地域ポータルサイトでの活動の様子、クチコミレポートとその裏側をつづります。YouTube動画紹介、日常ブログ、診断士からの一言、ダイエット・ストーリーなどもたまに^^

手にしているものを離しなさい、もっと大きなものを手にしたいのなら
-Chikea Ganashiyo

風を送ってくれる団扇を持つべきか、陽をさえぎってくれる日傘を持つべきか。どちらも暑さ対策の品なので悩みます。必ずしも大きな方が良いとも限らないし(・・・微妙かな?)



※「京都慕情 O's HD」の三女です。
https://www.facebook.com/akechi011
↑作品ページはこちら(ご覧になるときはステレオフォンで^^)

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facebookの投稿に2枚以上写真をアップすると、後から文章の編集をしたくてもできません。
注意すべきなのについ軽いノリで行ってしまい、読み返すと赤面です。
訂正はもちろんせず、上記はまったく当時の内容です。

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(どう考えても、ポチッとされた側だけが幸せですよね?^^;)

さて、“二兎を追う者は一兎をも得ず”という“諺”とこの“語録”は意味が異なります。
一つはすでに得ているわけで、当初から二つを得ようとするものではありません。似ているようでも、それは大きな違いです。

では、あるものを得るためには別の何かを捨てなければならないのか?
決してそうではない、と言う人も少なくないでしょう。
二つも三つも、さらに沢山のものを手にしている人が存在するからです。

しかし物理的な話になると様相は違います。
すでに手が塞がっていますので、新しく何かを手にするためには、今手にしているものを捨てなくてはなりません。
そう、必ず捨てなくてはならないのです。

それは物理的な話の場合だけと楽観しそうですが、
ときに他のケースにも同様のことが生じる場合もあるはずです。
実はそういうケースが結構多かったりもします。
なかなか手にできないものを選択するとき、新たな価値観を見出すとき、とても大切なものがどちらか一つであったとき、等々です。

では新たに手にするものとは、どのようなものであるべきなのか?
扇子と日傘のどちらが良いかは大変悩みます。
どちらにすべきでしょうか?

自分をより幸せにしてくれるものであるなら・・
たとえわずかでも他人をより幸せに結びつけるものであるなら・・・

書いた時にはChikea Ganashiyo本人すら気付いていませんでしたが、
この“語録”の究極の真理は「今よりもっと幸せを手にしなさい」ということなのかも知れません。
私の愛する四人の娘たち-“Y家の四姉妹”

すでに二人の姉は嫁ぎ、一緒に暮らすのは下の二人です。
彼女らは同い年、ツインズ(Twins)と表現できる双子です。

二卵性ですので、顔つきや性格は全く異なります。
しかし仮に一卵性であっても、やはり親からみれば顔つきも性格も異なると思います。
それぞれが一個の“人格”であり、一個の“魂”の持ち主だからです。
どれほど似ていても、同じ人間はこの世に二人とはいません。

昨日、京都に行って来ました。
双子の娘らの舞妓体験が目的です。
次女も同伴してくれました。
優しい姉として、いつも二人を上手くリードしてくれます。

実のところ、彼女らの舞妓体験は三度目になります。
初めて京都を訪れたのは5年前(2008年)の10月16日、二人が14歳になったその日でした。
誕生祝いを兼ねて私と妻と4人で出かけたのです。


あまりに艶やかな舞妓姿のツインズに私と妻は絶句しました。

可憐な二人の姿を「何か形となるものに残したい」という思いに私は駆り立てられました。後にそれが私の動画制作の発端になりました。

二度目はその3年後、2011年10月11日です。
今回同伴してくれた次女と共に、三人が舞妓姿に扮しました。
ツインズは花も恥じらう16歳でした。


清水寺に向かう三年坂は娘らを取り巻く人垣で埋まりました。
道行く人々は写真を撮るために立ち止まり、次々に歓喜の笑顔、感嘆の声であふれたといっても言い過ぎではありませんでした。
鮮烈なその思い出が「いつしかまた京都で舞妓に!」という今回に繋がったのです。

そして昨日10月10日、18歳の二人は5年目の舞妓を迎えました。
二人がねり歩く東山の街中は、前回以上の黒山の人だかりに包まれました。


「周りの空気が変わる」、明らかにそう感じたほどでした。
とにかく凄い、本人らは芸能人やスターにでもなった気分だと思います。

錦秋に京都へ-初めての舞妓から5年経ちました。

人生の5年は長いようで短い?、それとも短いようで長い?
どちらかは分かりませんが、明らかに娘たちは成長してくれています。

同じ屋根の下に産まれてきたからには、何かの強い“縁”が四姉妹を結んでいるのは間違いないでしょう。
とりわけツインズは、前世からの宿命を負っているような気がします。

それを確かめあい、育みあいながら・・・
これからも、明るく元気に生きてほしいと願います。
「Yさん、あなたは『対極思考』というものをご存じでしょうか?」
「対極思考?、何ですか、それは?」

市の経営相談の最中、私は書店業を営むY氏に対処の異なる二つのアドバイスをしてしまいました。

銀行への借入金返済を重視するもの。
「苦しくても銀行への返済はキチンと頑張って下さい。とにかく返すことが大切ですね。元利金を完済すればそれが御社の実績になり、信用に結びつきます」

その反対に、銀行への借入金返済を軽視するもの。
「何も銀行にキチンと返済する必要はありません。返そう、返そうと考えるから負担が大きくなるのです」

私にすれば、いずれも相手の相談に真剣に応えたアドバイスでした。
その顛末、思わぬ話の流れ(リンクはこちら)から、私はY氏に対極思考を明かすハメになったのでした。

「対極思考とは、ある物事を、たとえば磁石のN極とS極のように、まったく異なる観点から捉えることです」

とても楽観的に捉える一方で、かなり悲観的にも捉える。
難しく考えるのと同時に、それは簡単だとも考える。
慎重に用心深く構えていても、安易に物怖じせず構えたりもする。
軽くぞんざいな事柄であっても、どこかで重く大切に受け止めたりもする。
当然必要だと思われる事も、ひょっとして無くても構わないのではと考えてみたりする。

「ある物事や事態に直面した際、そんな相反する物の見方や考え方、捉え方を共存させておくことが対極思考のポイントです」
「とても変わった考え方ですね。そんな風に考えて、頭がおかしくなりませんか?」
「多重人格者のように思われるかも知れませんが、その共存がこの思考方法の大きなポイントになります」
「・・・」
「考え方がどちらか一方に偏るのではなく、たえず対極する両面を認識し、判断と行動のバランスを取っていきます」

第三者に説明することによって、あらためてその輪郭が見えてきたりする。
頭の中で一応は整然としていたが、Y氏に明かすことによって対極思考の観念が一層浮き彫りにされた気がした。

「私はそれを対極思考とか、両極思考と呼んでいます」
「なるほど。そういうことですか」
「ですから元利金返済が大切だとお話したにも関わらず、そんな事はどうでもよいとも発言してしまったのです(苦笑)」

その後銀行相手ならば、仮に元金不払いでも利息さえ払えば強制執行されないこと、事前に元金返済据え置きの交渉をすることなど、かなり腹を割って話をした。話題を売上向上策に移してからは、自店の強みを商品構成や販売方式にどのように活かしていくべきかなど、幾つかアドバイスした。

「Yさん、これからはぜひ対極思考をお持ちになって下さい」
「その後のお話の中にも同じ捉え方が出てきましたね。どこまでやれるか分かりませんが、私も心がけてみます!」
互いに握手を交わし、Y氏からの経営相談を終えた。

余談ながら後日、私の自宅にY氏から丁寧なお礼の手紙が郵送されてきた。
1万円もの図書券まで同封されていた。
わずか1時間ほどの相談に過ぎなかったが、Y氏の心に何か期すものがあったのだろうか。
私は何とも言えない嬉しさに包まれました。

対極思考-なぜそのような物の捉え方をするようになったのか?
    -なぜそのような物の捉え方ができるようになったのか?

その経緯をさらにひもとくことによって、対極思考の真意をつかまねばなりません。


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