こんにちは。
本日は、東京都Y.K様よりオーダーいただきました、
日本海軍後期型冬用飛行帽をご紹介したいと思います。
完成品
●表・・・・・山羊革(茶色)
●裏・・・・・兎毛(生成り色)
●サイズ・・・60.5cm
後期型飛行帽は大戦末期頃に作られました。
太平洋戦争・真珠湾攻撃頃は前期型飛行帽と昭和15年5月制定飛行帽が主流でしたが、その後、後期型飛行帽が開発され、この3タイプは終戦まで使用されました。
現在、後期型飛行帽は当時の実物飛行帽としては、現存数が多いほうの飛行帽になります。
夏用は特に目にすることが多いかと思います。また夏用後期型飛行帽は、末期には簡略化を図っており革質もかなり落ちていました。(鮫や八目うなぎの革まで使用されたといわれる)
たくさんのメーカーが生産に携わっており、わかっているだけでも5社ほどあります。
高島屋飯田株式会社、永田商店、株式会社河合製作所、矢口工業株式会社、株式会社五ニ商会などです。
それでは、後期型飛行帽で印象的な写真を見ていきたいと思います。
三四三空司令 源田實大佐(左)と飛行長 志賀少佐
昭和20年頃、松山基地にて
昭和20年4月4日、制空隊として鹿児島県笠の原基地へ進出する、352空の零戦隊
フェルトレシーバーを飛行帽に装着しているので、レシーバーコードが見えます。
721空12月、神の池における桜花搭乗員。
左から中根久喜中尉(予13)
第三分隊長・湯野川守正大尉(兵71)
細川八郎中尉(予13)
中根中尉は昭和20年4月14日、爆戦(爆装零戦)での特攻攻撃で戦死された。
昭和20年頃、大村基地における352空・昼戦隊の下士官搭乗員。
主力が沖縄戦のため、笠ノ原および鹿屋へ出る前後の撮影で、
バックは前部風防を大型化し、その前方を削って視界を改善した雷電31型。
後期型飛行帽を被っておられます。
厚木基地で302空の雷撃隊第2分隊長 伊藤進大尉が部下に指示を与えている。
こちらも皆さん後期型冬用飛行帽を被っておられます。
斜め銃装備の零戦52型に搭乗した、零夜戦隊の宮木亭少尉
フェルトレシーバーを装着し、胸元には酸素マスクが見えます。
白いマフラーをマスクのようにしておられます。
当初から高高度飛行が必要な末期の出撃には地上でマスクを装着して発進する。肩越しの安全帯が写っている。機体は零戦52丙型。防弾ガラスは撤去しており、重量軽減を図っての処置とおもわれる。
後期型飛行帽対応の装備類をまとめてみました。
皆さま、いかがでしょうか。