日本海軍 初期航空眼鏡と初期飛行帽 | 軍装 製作 赤とんぼのブログ  インスタグラムはこちらです→ ki9.k5y

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日本軍の歴史に興味があり、その歴史を残していく方々の中のひとりになりたいという思いで製作に励んでおります。日々研究し、オーダー製作、修復もしております。ヤフオクに出品中の商品はこちらhttp://sellinglist.auctions.yahoo.co.jp/user/ryotacrash?

こんにちは。

本日は、鷲の目眼鏡が開発される前に使用されていた

日本海軍の航空眼鏡と初期飛行帽をご紹介します。

 

 

 

 

上、毛付き(甲)

下、毛無し(乙)

 

1921年頃から製造が始まったと推測しています。
1938年頃まで使用されていたようです。

 

 

 

 

(甲)


雲母を挟んだ二重ガラス。ゴーグルのフレームは銀メッキ。  ゴーグルはゴムバンドで頭に固定されていた。         その後、昭和に入り、ゴーグルのフレームはアルミ製に変更された。

冬用ゴーグル(甲)は、外装に赤なめし革を使用した。

内側は茶色の毛皮で裏打ちされている。


フレームと同色のベルベット製フェイスパッドは、淡い黄色と褐色の絹織物でつながっていた。

 

 

 

(乙)

 

 

1923年頃。

 

 

 

1923年頃。

 

 

 

1932年頃。

 

1935年、「赤城」の「下飛行機格納庫」の扉の前で肩を組む飛行訓練第19期生。

 

 

1937年の第二次日華事変

 

 

右の航空眼鏡甲には高島屋のロゴマークが見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大正時代にこれらの飛行帽(4枚の革を縫い合わせた飛行帽)にこの初期航空眼鏡(甲・乙)が使われていた。

 

 

 

 

 

写真に写っている搭乗員に注目していただきたい。1940年頃に撮影されたもので、4枚の革をつなぎ合わせた夏用の飛行帽を被り、その上に鷲の目眼鏡を装着している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1920年頃に製造された飛行帽で、6枚の革でできており、耳カバーが縦向きになっている。他にも数種類のフライトヘルメットが使用された。

 

 


九六式2号艦上戦闘機Ⅱ型の後期タイプに寄り添う12空の青木恭作空曹
この機体は国の補助金で購入した「報国号」である。赤く塗られた尾翼は、この時代の戦闘機によく見られる特徴で、海上に着水した際に目立つようにするためだとか。

 

 

 

 

青木恭作三空曹の飛行帽は冬用で、冬用もあったのではないでしょうか。縦長の耳覆いが跳ねているように見える(?)

 

 

 

 

そして1936年頃、鷲の目眼鏡が発明され、採用された。

 

 

 

 

 

 

 

皆さま、いかがでしょうか。