こんにちは。
本日は、鷲の目眼鏡が開発される前に使用されていた
日本海軍の航空眼鏡と初期飛行帽をご紹介します。
上、毛付き(甲)
下、毛無し(乙)
1921年頃から製造が始まったと推測しています。
1938年頃まで使用されていたようです。
(甲)
雲母を挟んだ二重ガラス。ゴーグルのフレームは銀メッキ。 ゴーグルはゴムバンドで頭に固定されていた。 その後、昭和に入り、ゴーグルのフレームはアルミ製に変更された。
冬用ゴーグル(甲)は、外装に赤なめし革を使用した。
内側は茶色の毛皮で裏打ちされている。
フレームと同色のベルベット製フェイスパッドは、淡い黄色と褐色の絹織物でつながっていた。
(乙)
1923年頃。
1923年頃。
1932年頃。
1935年、「赤城」の「下飛行機格納庫」の扉の前で肩を組む飛行訓練第19期生。
1937年の第二次日華事変
右の航空眼鏡甲には高島屋のロゴマークが見えます。
大正時代にこれらの飛行帽(4枚の革を縫い合わせた飛行帽)にこの初期航空眼鏡(甲・乙)が使われていた。
写真に写っている搭乗員に注目していただきたい。1940年頃に撮影されたもので、4枚の革をつなぎ合わせた夏用の飛行帽を被り、その上に鷲の目眼鏡を装着している。
1920年頃に製造された飛行帽で、6枚の革でできており、耳カバーが縦向きになっている。他にも数種類のフライトヘルメットが使用された。
九六式2号艦上戦闘機Ⅱ型の後期タイプに寄り添う12空の青木恭作空曹
この機体は国の補助金で購入した「報国号」である。赤く塗られた尾翼は、この時代の戦闘機によく見られる特徴で、海上に着水した際に目立つようにするためだとか。
青木恭作三空曹の飛行帽は冬用で、冬用もあったのではないでしょうか。縦長の耳覆いが跳ねているように見える(?)
そして1936年頃、鷲の目眼鏡が発明され、採用された。
皆さま、いかがでしょうか。