緑商会社長 草野次郎さんについて、 | 「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

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昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、日本初のプラモデルメーカー、㈱日本プラスチックなど、真実のプラモデルの歴史を書いてます。

緑商会社長 草野次郎さんについて、

の続き、
 
ある日、業者数名が次郎を訪ねてきた、
その目的は取引の申し出であった、
 
そこで、次郎はかねてより親密な同業者であった「M」、と「Y」と協議のうえ、その業者と取引を開始することとした、
つまり、次郎はそのMとYとの三者連合により「帝国航空機工業㈱」の主要メンバーであった某卸店に無断でその業者と取引を開始し、取引を断ち切ったのである、
その結果、その某卸店の営業面に大打撃を与えたのであった、
 
(その反乱組の「M」と「Y」はその後、次郎と同じくプラモメーカーとなったが、具体的にそのメーカー名を語ってはいないので不明、大打撃を与えた某卸店というのも不明)
 
なぜ、反乱を起こしたかについては次郎は次のように語っている、
 
昭和3年から13年頃まで続いた輸出用模型飛行機用プロペラは、始めの5年間ほどは次郎のところでほとんど供給したが、8年頃からは新規業者が乱立して価格を暴落させた、
その新規業者から有利な条件で注文があっても、次郎は古い取引先に義理をたてその注文に応ずることはなかった、
古い取引先に対しては常に誠意をもって接していたので、相手方の裏切り行為は許せなかった、
 
さきの6名の有志で設立した「帝国模型航空機工業㈱」のメンバーの中に「A」がいた、
そのAとは古い取引先で業歴も長かった、
そのAと次郎の間でトラブルが発生したのは昭和11年頃のことである、
その頃は取引先としては超A級で納入金額も他の取引先よりも5%安くしていた、
たまたま他の取引先から大量の注文を受け、その注文に限りAと同じ価格で納入してあげた、
そのことを知ったAは「おまえのところは、他のところよりいつも5%安くしてくれているわけだから、今後は更に5%安くするのが当然だ」と、強引に次郎の説明も聞くこともなく今までの価格から更に5%引いて決済し続けたという、
そこで次郎はいつか機会があったら仕返しをしてやろうと、心に誓ったという、
 
また、「B」という業者は昭和5年頃のブームの時、次郎の従業員の職人を引き抜き自分の専属の職人として独立させた、
それも一度だけでなく、14年頃にも再度同様なことを企てたのでいつか絶対に仕返しをしてやろうと思っていた、
 
AもBも今まで好き勝手なことをやっても、次郎が何の抵抗も示さず大人しかったためいい気になっており、突然の次郎の反撃にビックリ仰天し後悔していたという、
(なんだか次郎さんは僕とよく似ているような気がしてならない、そう、テレ朝松井氏との場合のように(笑))、
 
当時最強の卸売集団「帝国模型航空機工業㈱」に反旗を翻し戦いに敗れ去ることは絶対にあってはならないので、その反乱仲間の「M」と「Y」と共に頑張った、
時の模型飛行機熱に便乗し、グライダーの袋詰キットの生産とプロペラ、その他模型飛行機材料の卸業に転向し、その反乱仲間と「八州商会」を設立した、
 
時に昭和16年4月の事であった、
                  <続く>緑商会社長、草野次郎さんについて、
 
そういえば、マブチモーターとの抗争事件?もあった。