「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル

昭和のプラモデルが好きなタダのジジイです、上から目線で書いてます、左翼系、反日、朝日新聞、テロ朝系列マスコミが嫌いな人間です、真実のプラモデルの歴史を書いてます、テーマの項目の「真実のプラモデルの歴史」から「和工樹脂の謎」までをお読み下さい。

 

 

このようなスケッチブックを見ると高野君を思い出してしまう、

 

高野君もクラスの中ではいじめられっ子であった、

何をされてもジッと耐え、反撃のできない高野君も宮地君と同じくいじめられっ子であった、

その高野君ともすぐに仲良くできた、

なぜか、クラスのいじめられっ子と僕は友達になれた、

 

 

高野君はゼロ戦と戦艦大和の絵が上手かった、

高野君と僕の机は隣同士であった、

授業中に僕は高野君とノートにゼロ戦と大和の絵を描きあった、

先生に見つからないように、コソッと教科書で隠しノートに描き、高野君と見せ合いっこした、

しかし、高野君の描いたゼロ戦と大和の絵は僕の描いたものより上手かった、

 

 

 

 

高野君も宮地君と同じようにプラモデルが好きだった、

何度か高野君の家にも遊びに行った、僕が遊びに来ると高野君は非常に喜んでくれた、

そして、またゼロ戦、大和の絵を描きまくり、組み立てたプラモデルを動かして遊んだ、

 

しかし、それも中学生までで高校生になるとお互いの道を歩み始め交流は途絶えてしまった。

中学生の頃、宮地君はイジメられっ子だった、
授業の休憩時間になるとよくトイレに連れ込まれ、トイレから出てきた宮地君の顔は赤く
腫れ上がっていた、ジッと我慢している宮地君が痛々しかった、
助けてあげようにも、そこまで腕力のない僕としては助けてあげられることが出来なかった、
ただ、僕にできることは宮地君と仲良しになることであった、
 
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宮地君は僕と同じようにプラモデルが好きだった、そして僕の家からも近くだったのですぐに仲良しになることができた、
ある日、宮地君が「プラモデルを作ろうよ」と誘ってくれたので自転車に乗っていつもプラモデルを買っている近くの時計店へ行った、
 
ガラスケースの中に入っているプラモデルの中から宮地君は大滝のコルセアを選んだ、
それならと僕は、「じゃあ僕はゼロ戦にするから走らせっこをしようよ」とゼロ戦を選んだ、
宮地君はコルセアを僕はゼロ戦のプラモデルを自転車の荷台にくくり付け、宮地君の家に向かった、そして、宮地君の家に着くとすぐに組み立てにとりかかった、
 
ちゃんと走らせるのが難しかった、それでもなんとかお互いに組み上げることができた、
宮地君のコルセアと、僕のゼロ戦を並べて走らせた、
決してスムーズには走らなかったけれど、なぜかお互い満足げであった。

今からちょうど55年前の夏にそれは終わった、

 
そう、僕のプラモ少年時代である、
 
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それを締めくくったのが、この大滝製作所の魚雷艇PT7、今井科学のベビーサンダーボーイであ
った、その魚雷艇PT7は実によく走った、マブチ55の強力なモーターと単2電池4本の組み合わ
せにより素晴らしい走りをみせてくれた、走らせた場所は筑後川の南に流れている矢部川、その
矢部川の流れに負けることなく走ってくれた、大きな円を描くように舵を少しきって浮かべて走らせた、
 
矢部川の流れに負けてどこか遠い所に行ってしまうのではないかと不安もあったが、ちゃんと円
を描いて手元に戻ってきてくれた、
 
そして同じ夏、発売されたばかりの今井科学のベビーサンダーボーイ、ビッグサンダーボーイを買
えなかった僕はこのベビーサンダーボーイを買った、もちろん、ビッグサンダーボーイとは比べよ
うもなかったが、それで我慢するしかなかった、中学3年の夏のことであった、そしてその時、僕
のプラモ少年時代は終わった、そう、次の年は高校生でありプラモ少年との別れをしなければな
らなかった、
 
よって、それ以降のプラモデルの体験はまったくない、怪獣プラモもウルトラマンも、緑商会のSF
プラモも体験はない、昭和39年夏までのプラモデルしか体験はない、
それ以外のプラモデルはいい歳をしたオッサンになってからの体験となっている、
 
そう、男は歳をとるたびに子供に戻っていくのである、たとえ体は老いていくことになっても。

かつては、模型雑誌が出版される際はいろいろと資料などの提供をさせていただいた、

しかし、今となってはさっぱりとその提供依頼などは来なくなってしまった、

そう、今までお付き合いさせていただいた業界人の方々や、それらの取り巻きの方々のほとんどが僕から離れていかれた、

 

なぜなら、僕と関わるとヤバいので(笑)、

ヤバいと言われても、今までに特に僕は悪いことをした覚えはない、人に迷惑をかけたこともない、ただ、今僕と関わると迷惑をお掛けすることになる、

そう、業界人からは要注意人物として手配書みたいなものが出回っているから、

今更言うまでもなく、それは模型業界どころか出版界からも、そして金型メーカーまで手配書は出回っている、まだ確認までは至ってないが、ひょっとしたら射出成形機メーカーまで出回っているのかもしれない、

 

その最大の理由は、プラモデルの歴史の嘘を暴いてしまったからだろう、

いや、僕としては単なるプラモデルの歴史を正しただけのはずだったが、それが業界にとっては非常にマズイことみたいで、また、プロの模型ライターの方々にとっても非常にマズイことであったらしい、しかし、それは自業自得ということだろう、マルサンの歴史が嘘だと薄々わかっていながらそれに脚色を加え捏造してマルサンの歴史を作り上げたのだから、

 

模型ライターの方々も本当のプラモデルの歴史はわかったはずである、

しかし、そのことを正直に書き直すことが出来ない、なぜなら、業界の中で生きていかねばならないから、真実のことを書いたら業界から干されて仕事がなくなってしまう、

だから、業界と忖度して嘘の歴史をいつまでも書いていかなければならない、

そう、物書きとしての魂を売ってまでも、嘘を書き続けていかねばならない、まあ、素人の僕から見れば哀れな方々としか言いようがない、

 

しかし、そこまでしてマルサンや業界を守らなければならない理由は何だろう、

僕も未だにイマイチわからない、その本当の理由が、

 

そうそう、5月の静岡でのホビーショーの時に面白い?ことがあった、

某大手新聞社の記者の方から取材を受けた、

僕のプラモデルの話に興味を持たれたのだろう、特に日本プラスチックのことで、

1時間くらい取材を受けた、前もって言っておいた、僕のブログをご覧になればおわかりかと思いますが僕と関わると問題や、迷惑がかかるかもしれませんよ、と、

いや、そんなことはまったく問題ではありません、と仰るので取材を受けた、

そして、このことは記事にしますから、と仰るので、いいですよ、と答えておいた、

こちらとしては願ってもないことなので、まさか新聞の記事として載るのであれば嬉しい、

もちろん、僕が日本プラスチックのノーチラス号を持っている写真も撮っていかれた、

しかし、結果としては記事にはならなかった、

そして、その後「和工樹脂」のことが判明したので、そのことについてもメールで連絡した、

しかし、案の定音沙汰なし、何の返事も連絡はこなかった、

これも僕の推測になるが、おそらく記事にする前に静岡の業界人あたりに根回ししたのだろう、

「この記事を載せたいので」と、当然のことながらストップがかかるだろう、

「明石小五郎という奴には関わるな!!」 と、

もう、僕の悪名は新聞社にまで広まった(笑)、

 

 

アッ、ヤバい、ヤバい、 名前が出ている、ぜひ購入して下さい、

 

ただし、○○ヌマ氏が書かれているマルサンとレベル社の話のところは嘘なのでその部分を読むか読まないかはご自由に、それにしても、いつまでこのような嘘を書き続けるのだろうか、

そう、物書きとしての魂まで売ってしまって、

 

それから、11月2日、3日は大阪南港ATCで「モデラーズフェスティバル」が開催、

https://modefesosaka.wixsite.com/modefes 「模型探偵団」も出展、ぜひご来場を。

 

 

8日の記事で紹介した「ボーイズライフ」の頃 の中で三和模型の「Mー35リストン戦車」、

 

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実は、このプラモはまだ一度も見たことなかった、

それで、コレクターの方からその画像をいただいたので紹介してみたい、

 

 

箱絵と中身はまったく違っている、

そう、これはニチモの「M46 パットン戦車」をパクったもの、

 

 

これは、ニチモのパットン、

 

 

構造、組み立て方もニチモの戦車とほとんど同じ、

 

 

キャタピラもほとんど同じ、 リモコン式なのに、砲塔内の電池ボックスもちゃんとある、

 

 

 

ギアボックス、砲弾発射装置の引き金レバー、底板、など全て同じ構造となっている、

 

 

弾倉、薬莢の排出も同じ、

三和模型は、倒産前は無茶苦茶にいろいろなプラモデルを発売した、それで新規に開発する余裕みたいなものがなかったのだろう、それでこのようなニチモが何年もの前に発売したものをパクって発売したのかも知れない、

 

 

 

 

緑っぽい色のニチモのパットンが初版だろう、これの謎が砲身のマズルブレーキ、

ラッパ型にはなってない、これは僕より10歳先輩の方から譲っていただいたもの、

もう一台お持ちであったが、それもこのマズルブレーキになっていた、若い頃に組み立てられたようでその時からこのマズルブレーキになっていたという、

もちろん、薬莢は金属製ではなくプラ製になっていた、

 

そうそう、同じくパクったものにクラウンモデルのパットンがあった、

 

 

「US M46 パットン」、

 

 

ボディーは一回り小さく、ただニチモのパットンに似せただけのもの、

 

 

輸出もしていたらしく英文の説明図も入っている、

 

 

モーター付きで250円、当時としても安い、そう、安いだけが取り柄のプラモデルだった、

このように、ニチモのMー46パットン戦車をパクったものはいろいろとあった、

 

ただ、そのニチモのパットン戦車もアメリカのレムコ社の「ブルドッグタンク」をそのままそっくりパクったものであったことはすでに紹介しているとおりである。ニチモ M46パットン戦車

 

クラウンモデルのパットン戦車はこれ以外にも何種類もあったようで、その画像をまたいただいたので紹介してみよう、

 

 

おお~、こんなに種類があったとは知らなかった、

 

 

其の中の一つの価格が200円、しかもモーター付きで、非常に安い、

僕が持っているものが250円、おそらく、この200円のものが古いのだろう。

 

 
               (昭和41年1月号 少年画報口絵)
僕らの時代、花形戦車といえば自衛隊の61式戦車であった、
 
                       (昭和41年1月号 少年画報)
 

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日本ホビーのマンモス戦車の中でも最高のメカを誇るこの61式戦車を本来のリモコン式にしてみよう、

 

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このように、シングル式にしていたものを、

 

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リモコン用の配線に直して、

 

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毎度のことながら、最大の泣き所がこのプラギア、1枚が割れてしまったので瞬間接着剤と樹脂

で固めてある、他のプラギアもいつ割れてしまうかわからない、

 

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モーターを回転させたらギアのシャフトが浮き上がってしまった、今度はシャフトの止め板のネジ

穴がひび割れしてネジがスカスカになっていた、

 

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そこで、穴に瞬間接着剤を流し込んでペンチで径を摘んでひび割れを治す、

どうにか画像のようにネジ穴の径が元通りに復旧した、

 

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そして、シャフトの押さえ板をビス止めする、

 

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次に、リモコンボックスとの配線

このリモコン、逆転スイッチが3個もありちゃんと金具を接触させるのに苦労する、

 

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とりあえずはちゃんと金具を接触させることに成功、リモコンで操作することが可能となった、

とにかく、日本ホビーの61式戦車は当時の戦車プラモの中では最高のギミックを誇る、

これ以上のギミックを持った戦車プラモはない、このカラクリを考案した方は凄い、
が、ちゃんと全ての仕掛けを作動させるのは困難を極める、当時うまく作動させて遊ぶことができ
た子供達は何人ほど存在していたのだろうか、
 
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砲塔の中には単3電池1本を収納する、これは赤外線照射用となっている、
 
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これは赤外線のスイッチ、砲弾発射の引き金が引かれると金具の接点に接触してスイッチが入
る砲弾はこの白い発射装置の先っちょの穴から発射される、
 
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砲弾発射装置の穴と砲身は繋がるので、砲弾は砲身から発射される、
当然といえば当然なるも、当時はニチモの61式戦車等は砲身から砲弾は発射されず、砲身の
根元の真下に穴がありそこから砲弾が出た、
 
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これが複雑怪奇?な最高のカラクリ仕掛けで、多数の歯車とカムの組み合わせによって砲弾発
射装置と砲塔の回転を行う、そう、1個のモーターで砲塔360度回転させ、モーターを逆回転さ
せるとギアとカムが切り替わり砲弾発射装置が作動する、この装置をジッと見つめてもそのカラ
クリは理解できない、僕自身も未だにそのカラクリを完全に理解できない、
 
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なぜなら、このようにこの装置をネジ止めするのでどのように歯車やカムが動くのか確認すること
ができない、大体の想像で思い描くしかない、だからちゃんと作動させるのが極めて困難となっ
てしまう、その動力源がこの中央にセットされた砲塔の回転装置、そう、アメリカITC社のM41ベ
ッツィタンクをそのまま模倣した砲塔の回転装置である、
 
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あとは本体上下をセットすればOK,まあここまで来るのは相当の困難を伴う、
そして、プラ製ギアに泣かされる、実は作業中にギアボックスの青い平ギアが再びひび割れして
スカスカになってしまったので、瞬間接着剤で固めてしまったこれもいつまでもつかわからない、
 

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砲塔は赤外線用の電池を入れるので取り外せるようになっている、もちろん砲弾の玉もハッチか
ら入れられる、
新品の電池がなく大分消耗した電池を使用したので動きはゆっくりしたものとなっている、
いつものように一人で撮影とリモコン操作を行っているので動きが速いと大変なので、
 
あとそれから、発射される砲弾が動画ではなかなか見えないがちゃんと発射されている。
 
 
 
日本ホビー M41ウォーカーブルドッグ 日本ホビー M41ウォーカーブルドッグ

 

現役の頃は出勤などの時はカチ、カチッと、「切り火」を打って送り出してくれた、

しかし、リタイヤし何の稼ぎもなくなった今となってはこの火打ち石は使われることもなく、下駄箱の上に置きっぱなしのままとなっている、

 

息子たちが通学や出かける時もうちの誰かさんはこの火打ち石で「切り火」を打って送り出していた、しかし、二人っきりとなった今は使われることはなくなった、

もちろん、今となっては僕が出かける時も面倒くさいのか「切り火」を打ってくれることはない(笑)

 

段々と日本の昔からの文化、風習がなくなっていくことに寂しさを感じてしまう。

 

昭和38年から44年の数年間だけ出版されていた中高生向けの月刊誌があった、

 

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それが、「ボーイズライフ」という月刊誌であった、この中にマンガは一つくらいしかない、

どちらかというと、中高生向けの情報誌といったほうがいいだろう、

 

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裏表紙にはこのようなプラモデルの広告も載っていた、今井科学 スーパーリモコンタンク 61式戦車

昭和38年4月創刊号を見てみると、

 

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これは、今井科学のモデルになっている、

 

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そう、ミサイル戦車BB-3である、今井科学フリーミサイル戦車BB-3

 

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このような戦記、兵器類ものから、

 

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政治ものも、

 

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そして、スポーツもの、

 

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自動車もの、アッ、力道山が、

 

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子供の頃はプロレスが好きだったので、このように部屋にもポスターを貼り付けている、

 

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秘密基地の作り方までが載っている、そう、いろいろなジャンルの記事が載っていた、

 

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マンガはこの一つだけ、あとは小説やら図解等が載っていた、

今、読み直してみると懐かしい出来事がいろいろと蘇ってくる、

ただ当時、愛読者数は多くなかったようで、僕も2、3冊ほど購入した記憶しかない。

 

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ボーイズライフ昭和40年9月号を見てみよう、
 
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世界初で最大の原子力空母エンタープライズを世界で初めての完全図解?
 
ITC社のエンタープライズを修復したが、このカタパルトの図解を見てみるとプラモも実物も仕組みは同じ、動力が輪ゴムか蒸気ピストンなのかの違いである(笑)、
初めて日本に寄港したのが昭和43年の佐世保への寄港、その時も戦争に巻き込まれるなど
と左翼の群集が大騒ぎをして歴史に残る闘争を繰り広げた、
 
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怪獣もの、特撮ものも流行った、
 
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コンバットのサンダース軍曹も流行った、当初はヘンリー少尉が主役のはずだったが、いつのまにかサンダース軍曹が主役になったらしい、
 
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そのサンダース軍曹に刺激されてマテル社のトミーガンが欲しかった、
 
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そうそう、スパイものも流行った、007、0011ナポレオンソロが流行った、
そういえば、テレビでは川津祐介さん演じる「スパイキャッチヤーJ3」を観ていた、
 
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これは、一光模型のボンネヒルシリーズの「チャレンジャー1」、一光模型 ボンネヒルシリーズ チャレンジャー1
 
もう一冊だけ「ボーイズライフ」を紹介しておこう、

 

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これは昭和39年3月号、

 

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小松崎画伯の100トン戦車の絵が素晴らしい、

 

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この中で、気になる新製品のプラモの広告がある、

 

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この三和模型の「M-35リストン戦車」の広告である、そう、三和模型が倒産する直前に発買されたリモコンの戦車プラモである、これは僕は見たことない、

引き金を引くと弾丸が発射され薬莢が出るとある、ん、ん、ニチモのパットン戦車?

 

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なるほど、ニチモのパットン戦車のパクリだろう、後部に引き金のレバーがあり砲塔上の弾丸装填箇所も同じ、形もほとんど同じだからニチモのパクリだろう、いや、ニチモもパクリだから正確にはレムコ社のブルドッグタンクのパクリだろう、ニチモ M46パットン戦車

 

それにしても、三和模型の末期には物凄い数の種類のプラモを発売した、結局はそれが命取

りとなり資金繰りがつかなくなり倒産してしまった、なぜこの場におよんでこのようなパクリプラモを発売したのかその理由もよくわからない、

 

 

 
 
今までに組み立てたキャタピラではなく、車輪もののSFプラモを取り出して並べてみた、
 
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この中で、一番笑ってしまうような、ガッカリしてしまうような、しょーもないプラモだったのが、
 
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それがコレ、シャープの「ニューフライングサンダー101」というプラモ、まあ、箱絵も凄いが、その
スタイルも凄い、そしてギミックはゼンマイで走るのみ、箱絵に騙されて買った子供達もいたのだろう、
 
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次に、このアリイの「宇宙遭難救助隊 レンジャー」、これも凄かった、そのスタイルも凄いが、ロ
 
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この緑商会の「プラネット」の飛行は凄かった、あんなにブンブン飛行するとは、
 
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この大滝製作所の「宇宙パトロールカー マッハ」はライトの点滅と火花が楽しめた、
             宇宙パトロールカー マッハ
 
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アオシマの「サンダーマシン」、これはアオシマお得意の車にとんでもない武装をさせたプラモ、
しかし、聞くところによると、このようなプラモのフアンの方も結構いらっしゃるとか。
プラモデルが世に普及する前の昭和34年の正月は何をして遊んでいただろうか、
それは、マルサンがノーチラス号を発売したとされる翌月のことである、もちろん、マルサンがノ
ーチラス号を発売したことなど知るはずがない、今のように宣伝媒体が豊富にあるわけでもなく、
地方までそれが流れてくることはなかった、
 
昭和34年頃というと僕は小学4年生、たしかその頃としては定番の凧揚げ、メンコ、ビー玉、ライトプレーン、で遊んだと記憶している、そうそう、銀玉鉄砲で撃ち合いをして遊んだことを記憶している、
 
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以前の記事でも書いているように、その時に撃ち合いをして遊んだのがこの銀玉鉄砲、
ただ、その頃は銀玉鉄砲とは呼んでなかった、「マジックコルト」と呼んでいた、
これも発売は昭和34年だったという、
実は、この「マジックコルト」こそ今でいう銀玉鉄砲の元祖であった、当時は爆発的に売れたという、
 
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ハッチを開け銀玉を入れ、スプリングの付いた棒を引いて引き金を引く、
 
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これは、そのマジックコルトのパクり品、どこのメーカーなのかさっぱりわからない、
箱もオリジナルの写真を載せている、しかも、大胆にも「マジックコルト」とそのままその名を使っている、
 
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オリジナル品の実物大の写真を載せている、ピッタリと合う、
 
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上がパクリ品、大きさもほとんど同じ、形状もほとんど同じ、
 
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大きな違いがコレ、銀玉の装填箇所、パクり品はスライド式、オリジナル品はハッチ式、
まあ、当時はこのようなパクり品がまかり通っていたのである、
 
そのマジックコルトが発売される前に遊んでいたピストルが次のもの、
 
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そう、このプラスチック製というか、同じプラスチックの仲間のベークライト製といったほうがいいのか、まあ、ベークライト製に近い材質、
 
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これは、マルサン製のもの、マルサンもその頃はピストル玩具をいろいろと発売していた、
僕が遊んでいたピストルのうちこの2丁のタイプが一番記憶に残っている、
 
マルサンはノーチラス号を発売するまではプラスチックという素材自体が未知の素材だったということなので、それでは、このピストルは何だったんだ、ということになるが、このピストルもマルサンが製造していたものではないだろう、
なぜなら、これらとまったく同じタイプのピストル玩具が他のメーカーからも発売されていたからである、
 
地方に住んでいたせいか、昭和34,5年頃までマルサンのプラモデルを見た記憶はない、
当時よく見かけたのが、三共、三和のプラモデルであった、特に三共のピーナツシリーズ、
三和のモーターライズの「アトムレーサー」、「トライアンフ」などが記憶に残っている、
それと、東京タワー(今考えると、それは不二化学の製品だったのだろう)
 
つまり、マルサンの製品は、東京、大阪などの主要都市は普及していたとしても地方までは普及していなかった、
それともう一つの要因がマルサンには子供の心をとらえる動くプラモデルがほとんどなかったか
らだろう、
マルサンには、せいぜいスクリューで走らせる艦船プラモ程度のものはあった、その頃子供達が夢中になった戦車プラモもほとんどなかった、(アッ、戦車プラモが一つか2つだけあった、しかし、それはずっと後)
 
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この駄菓子屋かどこかで貼られていたポスターを見ても、動かして楽しいようなプラモはない、ディスプレイタイプのものとスクリューを回す程度のプラモデルである、当時子供が欲しいのは走る戦車であり、戦闘機であり、車であった、
 
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あの哨戒水雷艇のプラモデルも、そう、金型が複雑すぎてマルサンでは作ることができなかった
プラモデルも載っている、
 
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当時、このような森永チューインガムで景品ものがあったことなど記憶にはない、
 
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マルサンは多額の宣伝広告費を使いテレビでも「陸と海と空」という番組で宣伝したが、不思議な
ことに少年雑誌での広告はあまり見かけない、たまに見かけるのが戦記雑誌「丸」の裏表紙に載っている広告であった、
 
僕らは、少年雑誌に載っているプラモデルの広告を見て購入していたのに、少年雑誌の広告の
みが各メーカーのプラモデルを知る手段だった、
 
ということは、マルサンは当初からプラモデルは子供たちを対象にはせず、むしろ大人達を対象にしていたのかもしれない、それと、動くプラモデルが苦手だったのだろう、
事実として、当時僕はマルサンの製品にはほとんど興味を示さなかったし、マルサンが子供たちから注目を浴び始めたのが、怪獣、SF撮マスコミ物プラモを発売してからである、それとソフビ人形があった、
 
つまり、それまでにプラモデルを全国の子供たちに普及させたのが三和であり、三共であり、ニチ
モ、今井科学、緑商会、大滝製作所等であった、つまり、マルサン以外のメーカーであった、
今のようなディスプレイタイプの動かないプラモデルではなく、組み立てて動かして楽しめるプラモデルであった。