すでに何度も紹介している電話番号簿、
模型の歴史を知るうえでも、また僕の愛読書?でもありまさに僕にとっては必需品となっている、
前回もこの大正時代の電話番号簿については紹介している、
大正時代の電話番号簿
前回も紹介したように当時は「貸座敷業」が圧倒的に多い、
この電話番号簿から僕が推計すると大阪市内には1,000件以上の貸座敷業が存在していたことは間違いないだろう、それだけ需要があったということ、
まあ、昔の人は何事につけてもパワーがあったものと思われる、
模型店はないのかと頁をめくってみてもなかなか見つからない、今のところまだ見つけていない、
今で言う貸オフィスの貸事務室業もある、
自転車卸商、
当時はすでに自転車が普及して海外にも輸出していた、
特に東南アジアには力を入れていた、
だから、マレー作戦には自転車部隊が大活躍したのだという、日本製の部品などが現地にあったので調達が容易であったという、
10年前に90歳のお方から当時その自転車部隊でマレー作戦に参加したことを聞いた、
将校は自転車ではなくバイク、そして三八式歩兵銃などの話を聞いた、
教育玩具人形問屋、すでに大阪の松屋町には玩具問屋街が存在していたのだろう、
「人力車特置取締」、なかなか面白そうな職業、
ここでは説明しないので、ネットで検索して調べてほしい、
個人についてはちゃんと具体的に何の職業なのか記してある、
この場合には造船技師、銀行に勤めていれば銀行員と当時の電話番号簿には記してある、
すでに、車の整備工場などもあったのだろう、
軍の払い下げ品店もある、
大阪に「北里結核研究所」があったことは知らなかった、
北里虎熊さん、まったく知らない、
ネットで調べても大阪に研究所があったことも虎熊さんのこともまったく出てこない、
虎熊さん、誰のことだろう、
北里柴三郎博士は熊本のご出身、そして熊本といえば加藤清正、加藤清正といえば虎、
いろいろと妄想が膨らんでくる、
電話番号簿というものは本当にいろいろと使い道がある。