すでに紹介しているとおり、プラスチック製の玩具は昭和25年に始まりマルサンがノーチラス号を発売する頃には多くのプラ製の玩具が出回り、特に珍しいものではなかった、
もう一度、おさらいをしてみよう、
射出成型の技術は昭和25年にはその技術は確立されていたことも紹介した、
そして昭和20年代後期には多くの射出成型メーカーが存在ししていた、
その証拠となるものが次の電話番号簿であった、
この電話番号簿にも数え切れないほどの射出成型業者が載っている、
これ以外にもあと2頁ある、もう数えるのが面倒、
何を言いたいかというと、その気になればすぐにでもプラモデルキットは作れたということ、
ただ、その頃はまだ誰もプラ製の模型キットを発売してみようなどと考える人がいなかった、
そう、模型といえばまだ木製という考えが強く、プラ製といえば玩具という考えが強かったから
だろう、
日本プラスチックが日本初のプラモデルメーカーとなったのは、そもそもがレベル社の下請け
製造をやっていたからで当然のことだろう、
ところで、先日の記事で和工樹脂のダットサン1000のプラモデルの広告について紹介した、
そのダットサン1000は昭和33年10月頃(10月頃としたのは10月にはすでに発売され
ていたということで、あるいは8月、9月かもしれない)であったが、実は、それ以前にプラ製
の車の組み立て玩具が発売されていた、組み立て式なのでプラ模型キット、あるいは組み立て
式玩具、とするのかその区分けが難しい、
まあ、玩具メーカーから発売されていたので、あえて組み立て式プラ玩具としておこう、
その現物の紹介はまた後日に、
もちろん、マルサンではない、どこが製造したものなのか、
あそこしかない、そう言えばなんとなくおわかりかも、
そうそう、マルサンと言えば面白いロゴマークがあった、
このロゴマークの付いた製品は見たことない。