長引く不景気で、消費者の財布のひもは固く、年々売り上げが減少する中で、昔ながらの商店は、特に苦戦している。昭和の時代には、多様な店が集まり、人であふれた商店街が、空き店舗が増えて、シャッター街になってしまった町が全国に多数できている。郊外大型店・ネット販売・通信販売が客を集め、売り上げをアップする時代となり、規模の大きさに関わらずどの分野の店も集客・売上げアップに工夫を重ねている。
目玉商品や低価格商品を店頭に陳列して集客し、おすすめ商品の陳列を店内に散らばらして、滞在時間を長くし、売り上げのアップを図るのは一般的な工夫であるが、低価格だけに縛られないで消費者の心をつかむ戦略で売り上げを伸ばしているスーパーが、東京、福岡等にでてきている。
その工夫は、
・ポイントカード(会員カード)を分析して、個人別に購入する品物の傾向(ライフスタイル)を知 り、多様化する消費者に対応する。
・客から要望のあった品物を可能な限り揃えることによって、価格は高くなるが信頼の獲得を目 指す。
・社員の7割は非正社員が普通であるが、逆に7割を正社員とし、社員力を活用する。
そうすることによって、時間帯によって客層が変わり、売れる品物が変わることに対応するために、目立つ場所に売れる品物を置くなど、社員の判断で売り場の模様替えを1日に何度も行う。また、自分たちで品物を仕入れることによって、何を購入するか決めないで来ている客や買うかどうか迷っている客に自信を持って品物の品質を保証し、アドバイスし、購入を勧めることができるようにする。加えて、業績に応じて昇進・昇給させることによって社員の販売意欲を向上させている。
規模の小さい店も、集客・売上げアップを目指して、ちょっとした工夫をこらしている。
温泉街の土産物を売る店では、店先を歩く観光客に温泉まんじゅうの試食を勧めるのであるが、その際にお茶も付ける工夫をしているのである。まんじゅうだけだと歩きながら食べることができるから、客は通り過ぎていくが、お茶があると立ち止まって食べ・飲むことになる。そこで店内に勧誘するのである。
ある回転すし店の工夫は、二つある。一つ目は、メニューである。単品で、お吸い物2種類いずれも150円、茶碗蒸し300円であるという単品紹介のメニューを置いておく。そして、回転すしのベルトの下に目立つように吸い物と茶わん蒸しのセット300円のパンフレットを貼っておくのである。単品だと高く感じるが、セットだとお得と思えるようにしたのである。
二つ目は、料理店を紹介している本(回転すし店も載っている)を購入して持参すれば、1200円の海鮮ちらしずしが500円になるという工夫である。ある飲食店は、予約が必要になるほど大人気となっている。
今は不景気だ。確かにものが簡単に売れない状況は、売る側にとっては厳しい。しかし、逆にいえば、それだけ商店同士の競争が激しくなり、ちょっとした工夫で集客・売上げアップにつながるのである。競争を生き延びた商店がさらに工夫することによって、消費者はどんどん金を使う。お金が動けば、景気が良くなる。世の中うまく回り、住みよい社会になるのである。
安井算哲(渋川晴海)が改暦に生涯を賭けた奮闘・挫折・喜びを描いた小説「天地明察」を読んで感銘した私は、映画化されることを知り、封切られる日を心待ちにしていた。待ちに待った映画を9月に見て、再び感動した。余韻が残る中で、暦について調べてみることにした。
日常生活を送る上での目安として、暦は必要であるから、どこの家にもカレンダーが壁にかけられており、手帳にも暦が載っている。商売人に限らず、日本人は縁起にこだわる。それは、今でも「縁起を担ぐ」、「縁起が悪い」などの言葉が使われていることからも明らかである。だから、暦注(暦に注記したもの)をよく見る。特に、六曜の、先勝(午前は良く、午後は悪い)、友引(朝晩は良いが、昼は悪い)、先負(午前は悪いが、午後は良い)、仏滅(一日中最凶の日)、大安(一日中良い日)、赤口(昼は良いが、朝晩は悪い)には関心が高い。
ちなみに、六曜は、古代中国の六曜という暦の考え方に基づいており、諸葛孔明が戦いの際、吉凶の日を知るのに利用したことに始まると言われている。この六曜は、江戸時代半ばの頃に急速に広まり、本来は戦いや争いごとの吉凶を占うものであったが、日本では日常生活全般に用いられるようになったのである。
明治5年よりさらに約800年前の平安時代の貞観4年(862年)以来、我が国は中国の宣明暦を採用していた。800年を経た江戸時代初期には、誤差が蓄積して実際の天の動きと2日のずれが生じており、改暦の機運が高まった。
そこに登場したのが、安井算哲(1639~1715)である。算哲は、自らの観測に基づいて、中国「元」時代の授時暦に中国と日本の経度差を補正した太陰太陽暦の暦法である大和暦(初めての和暦)を完成させ、貞享元年(1684年)に貞享暦(じょうきょうれき)として改暦された。その後、西洋暦法を取り入れて、宝暦、寛政、天保と江戸時代に4度の改暦が行われたのである。
明治5年以前の日本では、太陰暦(太陰暦と太陽の動きを考慮に入れ、19年に7度の閏月を設けて調節した太陰太陽暦)であった。太陰暦は、新月から新月までの朔望月を単位とし、29日と30日の月を交互に設けるが、365日より11日短いから、閏月を設けていたのである。
明治5年の改暦から使われている暦は、太陽の公転に基づく新暦即ち太陽暦(グレゴリオ暦)である。太陽暦は、1公転する時間を1年とし、グレゴリオ暦では1年を365日とするが、1回帰年約365,2422日と365日との差を埋めるために4年ごとに閏日を設け、100年ごとに閏日を省き、400年ごとに閏日を省くのを止めることによって調節している。
明治5年に新暦が採用されると、六耀による吉凶の載った暦注は禁止されたが、長い習慣から六曜が日本人の生活に影響を与えていたために、今でもカレンダーなどに六曜の載った暦注が使われているのである。
暦の歴史について少しわかったが、新たな疑問も出てきた。一つは、閏日をなぜ2月に設けて、29日とするのか理由が見つからないことである。12カ月を30日と31日だけに何故しないかという理由を次の機会に解決したい。
日常生活を送る上での目安として、暦は必要であるから、どこの家にもカレンダーが壁にかけられており、手帳にも暦が載っている。商売人に限らず、日本人は縁起にこだわる。それは、今でも「縁起を担ぐ」、「縁起が悪い」などの言葉が使われていることからも明らかである。だから、暦注(暦に注記したもの)をよく見る。特に、六曜の、先勝(午前は良く、午後は悪い)、友引(朝晩は良いが、昼は悪い)、先負(午前は悪いが、午後は良い)、仏滅(一日中最凶の日)、大安(一日中良い日)、赤口(昼は良いが、朝晩は悪い)には関心が高い。
ちなみに、六曜は、古代中国の六曜という暦の考え方に基づいており、諸葛孔明が戦いの際、吉凶の日を知るのに利用したことに始まると言われている。この六曜は、江戸時代半ばの頃に急速に広まり、本来は戦いや争いごとの吉凶を占うものであったが、日本では日常生活全般に用いられるようになったのである。
明治5年よりさらに約800年前の平安時代の貞観4年(862年)以来、我が国は中国の宣明暦を採用していた。800年を経た江戸時代初期には、誤差が蓄積して実際の天の動きと2日のずれが生じており、改暦の機運が高まった。
そこに登場したのが、安井算哲(1639~1715)である。算哲は、自らの観測に基づいて、中国「元」時代の授時暦に中国と日本の経度差を補正した太陰太陽暦の暦法である大和暦(初めての和暦)を完成させ、貞享元年(1684年)に貞享暦(じょうきょうれき)として改暦された。その後、西洋暦法を取り入れて、宝暦、寛政、天保と江戸時代に4度の改暦が行われたのである。
明治5年以前の日本では、太陰暦(太陰暦と太陽の動きを考慮に入れ、19年に7度の閏月を設けて調節した太陰太陽暦)であった。太陰暦は、新月から新月までの朔望月を単位とし、29日と30日の月を交互に設けるが、365日より11日短いから、閏月を設けていたのである。
明治5年の改暦から使われている暦は、太陽の公転に基づく新暦即ち太陽暦(グレゴリオ暦)である。太陽暦は、1公転する時間を1年とし、グレゴリオ暦では1年を365日とするが、1回帰年約365,2422日と365日との差を埋めるために4年ごとに閏日を設け、100年ごとに閏日を省き、400年ごとに閏日を省くのを止めることによって調節している。
明治5年に新暦が採用されると、六耀による吉凶の載った暦注は禁止されたが、長い習慣から六曜が日本人の生活に影響を与えていたために、今でもカレンダーなどに六曜の載った暦注が使われているのである。
暦の歴史について少しわかったが、新たな疑問も出てきた。一つは、閏日をなぜ2月に設けて、29日とするのか理由が見つからないことである。12カ月を30日と31日だけに何故しないかという理由を次の機会に解決したい。
振り返れば、私の映画好きは、高校時代に始まった。定期考査が終わった日は、解放感を味わいたいという思いから、必ずと言っていいくらい友人と映画館に行った。そして大学時代は、興味がわく映画が上映されておれば、暇にまかせて友人と映画館に行った。西部劇をよく観た。
先日、封切られた映画「踊る大捜査線ファイナル」と「天地明察」を連続して映画館で観た。そして、映画館の大きいスクリーン、迫力ある音響のもとで観る映画の魅力を再認識すると共に、もう一度観たい映画が、「シェーン」・「明日に向かって撃て」・「007シリーズ」・「ダビンチ・コード」など何本もあることを思った。そこで、真っ先に浮かぶ映画について、その要因を考えてみた。
黒澤明監督による豪快な娯楽時代劇「用心棒」(1961年)によって日本の時代劇は変わったと言われる。時は幕末、所は上州のある宿場町。町は二つのやくざ勢力対立し、抗争を繰り返していた。そこにめっぽう腕のたつダーティ・ヒーローの浪人桑畑三十郎(三船敏郎)が現れ、対立する両者をけしかけて争わせ、共に滅ぼしてしまう。毒を持って毒を制したのである。悪党どもを倒すには、多少は汚い手を使っても仕方がないと割り切り、正義とか大義とか立派なことは言わないのである。「痛めつけられたヒーローが、最後に立ち直り、決闘に勝つ」、この画期的なアイデアは、マカロニウェスタンに受け継がれたのである。
1965年、「用心棒」を西部劇化した「荒野の用心棒」(主演:クリント・イーストウッド、監督:セルジオ・レオーネ)が公開されて、日本中で大ヒットしているのを知った私は、友人と映画館に行った。そして、主題曲「さすらいの口笛」と強烈な個性を発揮するガンファイトに魅せられた。
続いて公開された「夕陽のガンマン」(主演:クリント・イーストウッド、監督:セルジオ・レオーネ)も観た。クリント・イーストウッドとリー・バン・クリーフの圧倒的な存在感と口笛のイントロからなる主題曲にまたもや魅せられ、すっかりマカロニ・ウェスタン(1960年から製作された西部劇は大人気で日本ではこう呼ばれた)の大ファンとなった。マカロニ・ウェスタンの大人気の原動力の一つは、云わずと知れたテーマ・ミュージックである。私は、就職して親元を離れ、一人暮らしとなって最初に購入したのが、「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」のテーマ・ミュージックを聞くためのステレオであった。
忘れてはならない西部劇に影響を与えたもう一つの映画がある。黒澤明監督による「七人の侍」である。戦国時代、野盗の群れに襲われた、小さい村の農民たちが、なけなしの貴重な米を食べさせるという条件だけで、自分たちのために命を賭けて戦ってくれる腕のたつ侍を用心棒に雇うための侍集めの展開が面白くて記憶に残っている。七人の侍と村人たちの間には溝があるが、一致協力して野盗と戦うのである。雨の中での激闘のシーンが今でも目に焼き付いている。
そして、「七人の侍」の翻訳権を買ったジョン・スタージェスが、西部劇の本場アメリカで作ったのが、西部劇の傑作といわれる「荒野の七人」である。圧倒的な存在感のユル・ブリンナー、無名に近かったスチーブ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、そしてロバート・ボーンなどスターの卵だった頃の演技も、もう一度映画館で観たい要因の一つである。
先日、封切られた映画「踊る大捜査線ファイナル」と「天地明察」を連続して映画館で観た。そして、映画館の大きいスクリーン、迫力ある音響のもとで観る映画の魅力を再認識すると共に、もう一度観たい映画が、「シェーン」・「明日に向かって撃て」・「007シリーズ」・「ダビンチ・コード」など何本もあることを思った。そこで、真っ先に浮かぶ映画について、その要因を考えてみた。
黒澤明監督による豪快な娯楽時代劇「用心棒」(1961年)によって日本の時代劇は変わったと言われる。時は幕末、所は上州のある宿場町。町は二つのやくざ勢力対立し、抗争を繰り返していた。そこにめっぽう腕のたつダーティ・ヒーローの浪人桑畑三十郎(三船敏郎)が現れ、対立する両者をけしかけて争わせ、共に滅ぼしてしまう。毒を持って毒を制したのである。悪党どもを倒すには、多少は汚い手を使っても仕方がないと割り切り、正義とか大義とか立派なことは言わないのである。「痛めつけられたヒーローが、最後に立ち直り、決闘に勝つ」、この画期的なアイデアは、マカロニウェスタンに受け継がれたのである。
1965年、「用心棒」を西部劇化した「荒野の用心棒」(主演:クリント・イーストウッド、監督:セルジオ・レオーネ)が公開されて、日本中で大ヒットしているのを知った私は、友人と映画館に行った。そして、主題曲「さすらいの口笛」と強烈な個性を発揮するガンファイトに魅せられた。
続いて公開された「夕陽のガンマン」(主演:クリント・イーストウッド、監督:セルジオ・レオーネ)も観た。クリント・イーストウッドとリー・バン・クリーフの圧倒的な存在感と口笛のイントロからなる主題曲にまたもや魅せられ、すっかりマカロニ・ウェスタン(1960年から製作された西部劇は大人気で日本ではこう呼ばれた)の大ファンとなった。マカロニ・ウェスタンの大人気の原動力の一つは、云わずと知れたテーマ・ミュージックである。私は、就職して親元を離れ、一人暮らしとなって最初に購入したのが、「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」のテーマ・ミュージックを聞くためのステレオであった。
忘れてはならない西部劇に影響を与えたもう一つの映画がある。黒澤明監督による「七人の侍」である。戦国時代、野盗の群れに襲われた、小さい村の農民たちが、なけなしの貴重な米を食べさせるという条件だけで、自分たちのために命を賭けて戦ってくれる腕のたつ侍を用心棒に雇うための侍集めの展開が面白くて記憶に残っている。七人の侍と村人たちの間には溝があるが、一致協力して野盗と戦うのである。雨の中での激闘のシーンが今でも目に焼き付いている。
そして、「七人の侍」の翻訳権を買ったジョン・スタージェスが、西部劇の本場アメリカで作ったのが、西部劇の傑作といわれる「荒野の七人」である。圧倒的な存在感のユル・ブリンナー、無名に近かったスチーブ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、そしてロバート・ボーンなどスターの卵だった頃の演技も、もう一度映画館で観たい要因の一つである。