片付けをしていて、「家計簿」と表紙に書いてあるノートを見つけた。
後ろのページに私の誕生の記録が!!
父の字。
大切な記録だわ!!💜
昭和32年(1957年)
4月21日 午後6時半 腹痛始め
8時半 準備
9時 病院行き(岩泉医院)
4月22日 午前1時 本格的に分娩開始
2時5分 出産(女子)
680匁
真っ赤で産声頗る強し
10時半頃 函館ドックへ電話 慎三兄に連絡
4月24日 午前11時44分着にて和加子さん来札
4月28日 慎三兄来札
午後3時に退院
4月29日 今日より三重野産婆が湯つかいに来宅する
5月3日 本日体重730匁
5月6日 曜子と命名し役所へ届ける
5月7日 体重800匁
5月12日 お産祝いのお返しを配る(餅1箱)
私は2590gで安産だったと母から聞いています。父が出産に立ち会ったことも。
当時としては珍しかったようです。
産婦人科の分娩室に基本的には助産婦さんが来て、ドクターは万が一のためにいるだけだったようです。
母が妊娠中に妊娠中毒症で具合が悪かったとき、函館の叔母(このノートにある和加子さん)が来てくれたおかげで安静にできたのです。
電話もメールもない時代に「なんだか気になって」と母の妹が赤ちゃんをおんぶして函館から急行で6時間以上かけて来てくれたんですからすごいすごいことです。
そのことは母からも父からも聞いていましたが、なんと、生まれた二日目にも来てくれてたとは知りませんでした。
叔父(ノートの慎三兄=母の妹の夫)も来てくれてたんですね!!!
その叔母は今、93歳。ひとり暮らしですが元気です。
叔父は96歳で4年前に亡くなりました。
お弔いに私も函館に行きました。
サラリーマンでしたが画家でもありました。
参考になるのはこちら。
我が家にも叔父の絵、叔母の絵があります。
ありがとうございます。
おかげさまで、私、元気に生かしていただいています💜