勇気ある決断 と言われたこともあります(笑)
実は会社を辞めて準備&勉強に専念する時間を作ったことを最初は札幌の両親には黙っていました。
(父88歳 母86歳 アタシは17年間東京で一人暮らしです)
もともと作るのも食べるのも大好きで、中学生くらいから台所ジャックをしては料理を作り、友達をよんで、ってなことをやっていました。
母に感謝です。
高校一年生の4月のある日、「お母さんのお弁当はおいしいんだけど、なんとなく年齢的に上っていうか、中年っぽい味付けって思うことがあるわ。もうちょっと若い味、お願いしたいな~」という内容のことを母に言った私。
なんと、ひどい娘でしょう(笑)

母は怒ることもなく、平然と「じゃ、明日からあなたが作るといいわ!材料は聞いてくれたらうちにあるのを使っていいし、買うものがあれば、金額次第だけど買ったらレシートくれたら払うわよ」と。
そういうことで、私は3年間、弁当は自作となりました(笑)
カフェテリアも売店もある高校でしたので、週に2日くらいは手弁当じゃなく友達とカフェテリアで定食やカレーを食べたりパンを買ったりしていました。朝7時10分にうちを出ないと間に合わない遠い学校だったので、早起きしました(笑)
バイトはほんのちょっとだけ。飲食店をやりたいとは全く思っていなかった時期ですが。
二十代の頃は、カウンターだけのカレーショップで2年バイト。
(作るのは手伝いレベル、盛りつけと洗い場とサービスがメイン、若かったから笑顔勝負?)
居酒屋のランチの厨房スタッフ(月~金)を2年、これだけです。
ここはパートのスタッフはアタシ以外全部プロの主婦(当時おばさんだと思っててごめんなさい)、毎日山ほどいろいろ教えてもらえてハッピーだった&夕方出勤してくる板前さんたちも気がつくと教えてくれてたことたくさん!若さのおかげ(笑)?
この時期は英会話の講師を専業でやっていましたので、カレーショップは週に3回くらい、授業のない時間に、居酒屋ランチは平日、朝9時~2時まで、英会話スクール勤務は3時過ぎ~21時、週に3回ほどスクールの後、夜に個人レッスンを教えてたから、体力あったな~~~(笑)
飲食店ではありませんが、マクロビオティックの料理では、アメリカですばらしい経験をさせてもらいました。
1986年~、マサチューセッツ州の久司道夫先生のKushi Instituteの住み込みスタッフを1年させてもらいました。この1年間は、チーフのもとで、スタッフの食事、セミナー宿泊客の食事、イベントの食事、料理教室のアシスタント、治療クライアントの食事、などなど、少ないときは15人分くらい、多いときは60人分以上のマクロビオティックの料理を徹底的にさせてもらいました。ボストン市内勤務のときは週に2回ほど個人宅訪問してケイタリングもしました(留守中に夕食を用意するパターン)。
ほんとうに感謝いっぱいです。なんと、私がアシスタントさせてもらったチーフは、マユミさん、そう、その後マドンナの専属シェフをつとめた方です。
ほんとうにお世話になりました。
マクロビオティックの勉強でお世話になった方は他にもまだたくさんいらっしゃるので、それは別の日記に書きましょう。
話は戻りますが、カフェオープンの決意については、両親にはその後帰省したときにちゃんと話しました。
二人とも「いいわね!あなたのご飯をたくさんの人によろこんで食べてもらえる場ができたら幸せなことね」と。
なんと幸せ者なアタシ

父が事情あって起業したのが54歳だったので、アタシが52歳脱サラ→カフェ開業へ、というのは「親子だな(笑)」と思ったと、後日父からメールがありました。
おっと 絵がないのも寂しいので、マクロなごはんプレートの試作写真を!
豆乳ココア、これはボダムのかわいいカップがお気に入り!

