AKARI 

AKARI 

ずっと前にやっていた小さなカフェの屋号が
Cafe Akari。料理を作ること&食べることが大好き。 

2013年6月に札幌に帰ってきました。
  

札幌で4年間ほど音楽イベントなどでのフードの出店、コミュニティラジオ出演などのご縁をいただきました。ありがとうございました。

 

高齢の親のサポート生活が始まり、ただいま休業中。


2018年1月に父を96歳の三日前に見送ることができました。ドッグスポーツの相棒のパピヨン安香理は2019年9月23日に17歳で穏やかに虹の橋を渡りました🌈


Covid-19で世界中が変化しています!私は100歳の母と暮らし、彼女の心身の健康を第一に、家事の工夫を楽しむ毎日です。この先、さあ何をやろうかなと考えると楽しいです。今皆で明るい未来を作っていくと信じて!なんだって楽しんでやろう!のポリシーは変わりません。


   

 

おかげさまで今日で67歳になりました。

私は札幌で生まれました。


2550g。  

自然分娩(陣痛が本格的に来てから30分位で出てきたらしい)
小さな産院で助産師さんが取り上げて(ドクターもいたらしいが分娩室には不在)なりゆきで父は立ち会いをしたそうです。  
お湯を沸かしたり、あれこれ手伝ったと。

これは生前、父が自慢気に話していたのを覚えています。


当時としては父親が分娩にずっと一緒というのは珍しかったようです。

8歳までは病気がちで弱々しい子供でしたが、だんだん丈夫になり、学校もちゃんと出席できるようになりました。
体育も見学80%だったのが高学年にはしっかりフル出席になり、ありがたかったです。

今は持病もなく、ケアで定期検診に行くだけです。
(婦人科と内科と眼科)
私は、過去には病院にはできるだけ行かない主義(?)みたいなところがありましたが、今は行きます。体に変化が起きる経験をこの数年しているので。

ちゃんと調べてもらったら「心配ない」とわかってよかったこともありますし。
前にも書いた「ストレートネック」のこととかね。



今日は、100歳の母と静かな1日を過ごしました。

あ! そうそう、昨日、誕生日前日祝いがありました。
ファイターズが3連勝しました。

これを誕生日祝いと勝手にいただいちゃう私はめでたい奴です。

これからも今をたいせつに明日に向かって明るく進みます。

Happy birthday to me!!!


私の画像はちょっとないので(見せられないとも言う)当時の母子手帳を。







1924年生まれ(100歳)と暮らすというのは、ちょっとユニークなことかもしれません😍

なかなかファンキーなことも言う母です。
たまに「え???」ってなることもありますが(笑)

小さな口げんかの原因のほとんどが私の話し方や話の内容です😓

彼女も今まではそれほど細かく気にしなかったと思うのですが、この頃、ちょっとだけピリピリすることもあります。

そりゃ、元気で健康と言っても100歳ですから、本人の思うように心身が操れないということは想像はできますから、ストレスは大きいかも。  当たり前といえば当たり前のこと。


以前よりずっと活動量が減った母と、楽しめることを探すのも私にとっては楽しいことです。

何かを見つけたり、作ったり、変化を楽しんだり、大好きです。


私も人生のほとんどを外に行って活動することがほどんどでしたので、今の生活はある意味新鮮。

 
ここまで出かけない生活も数年位になります。
「社会とのつながりがない不満」とか「現金収入のない不安」とか「自分が何の役にも立っていない(生産性のない)虚無感」とはサヨウナラできたつもりです😅

久しぶりに作った昭和のポークカレーはいい感じ!


豚肉も前より食べにくくなったと先月話してくれたので、今は一部ラードとして使い、メインは薄く下味をつけて片栗粉でもんで焼いてからカレーに混ぜています。とろみでコーティングされると食べやすいと。野菜も小さくカット。

残りもののほうれん草のおしたしも混ぜちゃいました。

スパイスはシンプル。ターメリック、コリアンダー、ガラムマサラ、シナモン。
生姜、ニンニク。 醤油、ケチャップ、塩、バター、牛乳。

今日はファイターズもオープン戦、勝利!
母と一緒にテレビで応援!
あーだこーだとほめたり、たまに辛口コメントを言うのも楽しんでいる母💖

I love you, mom!






2013年3月11日。
14時46分。

私は東京都世田谷区北沢にいました。

あの日の自分のブログを見てみようとしました。
翌日のものがありました。 当日は書かなかったのですね。



読み直してみると、「なんとゆるいことを書いたのだろう」と思います。  お客様が読まれることを想定していたのでしょう。



実際にはもっと動揺していましたし、余震は怖かったし、安香理(犬)は怯えて目の焦点が合わないのが丸一日ありました。

ただ、おかげさまで東京の私の住まいも店も被害ゼロでした。
(笹塚の我が家に夕方帰ったらリビングの食器棚からほぼ全部の食器が床に落ちて半分は割れていましたが、それだけでした。本棚の本は床に散乱。被害なしです)


当時のTwitter(現在はX)の自分のツイートを見返してみました。  
なんだかひとこと、ちょこっとつぶやいたり、お客さまや友達の安全確認にリプライしていたのありました。


店のアカウントは削除して、今はもうないので何を書いたかはわかりません。



ひとつ忘れていたことで、わかったのは、当時の私の住んでいた賃貸マンションのガスの元栓(各部屋のではなく建物のメインの)が地震でオフになり、その復旧をしようとしたら鍵がかかっていて開かなくて復旧できず、二日ほど台所とお風呂のガスが使えなかったことです。  
ポータブルガスコンロとキャンプ用のコンロとボンベでなんとかしていたようです。

停電しなかったのはありがたかったです。
店は何度か「計画停電の知らせ」が来ましたが、実際には停電なしでした。



能登半島の被災された皆様が1日も早く穏やかな暮らしに戻れられますよう、祈っています。  
1月に少しだけ義援金を送りました。
 

今週は我が家の防災セットや水、食料などの備蓄を再度チェックします。  
ソーラー蓄電器は先週チェックしました。

このブログを読んでくださるみなさまもどうぞご安全に💖