https://www.youtube.com/watch?v=EELs1KIQZmo
巴里にて
與謝野晶子
巴里の良人の許へ着いて、何と云ふ事
なしに一ヶ月程を送つて仕舞つた。
東京に居た自分、殊に出立前三月程の間
の忙しかつた自分に比べると、今の自分
は餘りに暇があるので夢の樣な氣がする。
自分の手に一日でも筆の持たれない日が
あらうとは想像もしなかつたのに、
此處へ來てからは全く生活の有樣が急變
した。
其れが氣樂かと云ふと反對に何だか心細
い樣な不安な感が終始附いて廻る。
好きな匂の高い煙草も仕事の間に飮んだ
時と、外出の歸りに買つて來て、
する事のない閑さに飮むのとは味が違ふ。
新しい習慣に從ふことを久しい間の惰性
が姑く拒むらしい。
其れに自分が日本を立つたのは、唯だ良
人と別れて居ることの堪へ難い爲めであ
つた。
良人が歐洲へ來たのとは大分に心持が異
ふ。
歐洲の土を踏んだからと云つて、自分に
は胸を躍らす餘裕がない。
ひたすら良人に逢ひたいと云ふ望で張詰
めた心が自分を巴里へ齎した。
而して自分は妻としての愛情を滿足させ
たと同時に母として悲哀をいよいよ痛切
に感じる身と成つた。
日本に殘した七人の子供が又しても氣に
掛る。
自分が良人の後を追うて歐洲へ旅行する
に就いては幾多の氣苦勞を重ねた。
子供を殘して行くと云ふ事は勿論その氣
苦勞の一つであつた。
其れが爲め特に良人の妹を地方から來て
貰つて留守を任せた。
子供等は叔母さんに直ぐ馴染んで仕舞つ
た。
叔母さんからの手紙は斷えず子供等の無
事な樣子を報じて來る。
手紙を讀む度にほつと胸を安めながら矢
張り忘れることの出來ないのは子供の上
である。
巴里の街を歩いて居ると、よく帽に金
筋の入つた小學生に出會ふ。
其れが上の二人の男の子の行つて居る曉
星小學の制帽と全く同じなので直ぐ自分
の子供等を思ふ種になる。
ルウヴルの美術館でリユブラン夫人の描
いた自畫像の前に立つても其抱いて居る
娘が、
自分の六歳になる娘の七瀬に似て居るの
で思はず目が潤む。
自分はなぜ斯う氣弱く成つたのかと、日
本を立つ前の氣の張つて居たのに比べて
我ながら別人の心地がする。
四月の半であつた。
里に預けて置いた三番目の娘が少し病氣
して歸つて來た。
附いてる里親の愛に溺れ易いのを制する
爲めに看護婦を迎へたりして其兒に家内
中が大騷ぎをして居る中へ、
四歳になる三男の麟が又突然發熱した。
叔母さんも女中達も手が塞がつて居るの
で書齋の自分の机の傍へ麟を寢かせて自
分が物を書きながら看護して居た。
温厚しい性質の麟は一歳違ひの其妹より
も熱の高い病人で居ながら、
覗く度に自分に笑顏を作つて見せるので
あつた。
而して無口な子が時時片言交りに一つよ
り知らぬ讚美歌の
「夕日は隱れて路は遙けし。
我主よ、今宵も共にいまして、
寂しき此身を育み給へ」
と云ふのを歌ふのが物哀れでならなかつ
た。
自分はそんな事を思ひ出しながら歩くの
で、巴里の文明に就いては良人が面白が
つて居る半分の感興も未だ惹かない。
過去半年に良人を懷ふ爲に痩せ細つた自
分は、歐洲へ來て更に母として衰へるの
であらうとさへ想はれる。
日本服を着て巴里の街を歩くと何處へ
行つても見世物の樣に人の目が自分に集
る。
日本服を少しく變へて作つたロオヴは、
グラン・ブル
アルの「サダヤツコ」と
云ふ名の店や、
巴里の三越と云つてよい大きなマガザン
のルウヴルの三階などに陳べられて居る
ので、
然まで珍しくも無いであらうが、白足袋
を穿いて草履で歩く足附が野蠻に見える
らしい。
自分は芝居へ行くか、特別な人を訪問す
る時かの外は成るべく洋服を着るやうに
して居る。
併し未だコルセに慣れないので、洋服を
着る事が一つの苦痛である。
でも大きな帽を着ることの出來るのは自
分が久しい間の望みが達した樣に嬉しい
氣がする。
髮を何時でも剥き出しにする習慣がどれ
丈日本の女をみすぼらしくして居るか知
れない。
大津繪の藤娘が被て居る市女笠の樣な物
でも大分に女の姿を引立たして居ると自
分は思ふのである。
丸髷や島田に結つて帽の代りに髮の形を
美しく見せる樣になつて居る場合に帽は
却て不調和であるけれども、
束髮姿には何うも帽の樣な上から掩ふ物
が必要であるらしい。
自分は今帽を着る樂みが七分で窮屈なコ
ルセをして洋服を着て居ると云つて好い。




