https://www.youtube.com/watch?v=KdrjdLISVgc

 

 

 

 

 

隣の家 

與謝野晶子 




 私達が去年から借りて住んで居る家の

左隣は我国の二大富豪の一として知られ

た某家の一族の邸である。

 

私の家との間に高さ一丈余りの厚い煉瓦

塀が立つて、其上に忍び返しが置かれて

居る。

 

その塀に接近して建てられた私の家は全

く風通しが悪いので今日此頃の暑さが非

常である。

 

おまけに塀の上部に隣の庭の高い木立が

黒味を帯びた緑をして掩ひかぶさつて居

て、

 

その木蔭から発生する無数の藪蚊が塀を

越えて断えず私の家に襲来する。

 

蚊遣線香をのべつに焚いても防ぎ切れな

い。

 

私の家の多勢が又しても呟き呟きアンモ

ニヤを手足へ附けて居る。

 

大きな体をした悪性の藪蚊で、子供や女

中の中には

 

螫された跡が飛ぶ火と云ふ発疹物のやう

にじくじくと気持悪るく膿を持つて

 

両脚一面にお医者さんから繃帯をして貰

つて居る者さへある。

 


 其塀の彼方は広い立派な庭になつて居

ると聞くだけで、勿論こちらからは見え

る筈が無い。

 

隣の邸の建物はずつと遠くにあるのであ

らう、私達は此処へ移つて来てから塀の

向ふでする人の笑ひ声一つ聞いたことも

無い。

 

いつも塀の向ふは静かである。

 

唯だ夜になると大きな飼犬が邸の内へ放

たれると見えて、それの吠える声が聞え

る。

 

さうして、夜更けて私達が書斎の戸を締

めたり、子供達が便所へ行つたり、

 

末の子のために私が牛乳を温めに起きた

りする物音の聞える度に、屹度其犬が塀

の側へ駈け寄つて私達に吠える。

 

私はその主人に忠実な犬だとぐらゐしか

思つて居ないけれども、

 

僻む人には毎晩隣の犬に怪まれねばなら

ないと云ふことがいい感じを与へないで

あらう。 

 


 富んだ私人の家や公共的の建築が高い、

いかめしい、堅固な塀で取巻かれて居る

ことを私は好ましくないことだと思つて

居る。

 

それは他と親まずに秘密主義を守つて居

た封建割拠時代の遺風である。

 

館や城に立て籠つて最後まで戦ふ準備を

必要とした武士道時代の余習である。

 

また武士と町民との区別がやかましくて、

前者が後者に対し形式的に威張り散らし

た時代の模倣である。

 

もう今の時代に監獄と火薬庫と要塞とを

除いて、其様な恐しい塀の設備が必要だ

とは考へられない。

 

塀は邸の境を分つだけに役立てばよいか

ら、自由に内外の見通せる鉄柵か石の金

剛柵かを設けて置けば十分である。

 

欧洲では帝王の家までがバツキンガム宮、

ベルサイユ宮のやうに鉄柵の間から自由

に覗かれるやうに造られて居る。

 

維納の宮殿などは全く開放的で、其中を

民衆が自由に馬車や自動車を駆つて横断

して居る。

 

私は靖国神社のやうな国民の崇拝的記念

建築がなつかしくない排他的な重苦しい

塀で掩護されて居るのを見ると、

 

折々一種の不快を覚えるのである。 

 


 若し私の家も隣の塀が清楚な鉄柵か石

の柵であつたら風通しが好くなるであら

う。

 

風と日光とが好く通れば隣の庭に藪蚊が

発生して私の家族を悩ませることも減じ

るであらう。

 

また鉄柵の間から隣の立派な庭が覗かれ

て、どんなに私達の目と心とを爽かにす

るであらう。

 

偶には双方の家族が塀越しに微笑と挨拶

とを交換して隣同志の人情を流露し合ふ

機会も生じるであらう。

 

少くとも隣の犬が私達の顔を見知つて夜

中に吠えたりすることが無くなるであら

う。 

 


 一体に貴族や富豪で宏大な庭園や、立

派な建築や、珍しい沢山の美術品やを所

有して居る家は

 

出来るだけ開放して公衆の縦覧を許すや

うにして欲しいものである。

 

巴里の大美術商ジユラン・リユイル氏が

毎週に一度その寝室までを公開して所蔵

の印象派以後の諸大家の絵を縦覧させて

居るやうなことは、

 

完全な公設美術館の無い我国では殊に必

要であり、有益であると思ふ。

 

例へば私達は日本式の庭園術が特色を持

つて居ることを書物の上で知つて居ても、

 

京都の桂の離宮や二条離宮を拝観しない

以上、有名な小堀遠州の庭園術を実際に

鑑賞することは出来ない。

 

かう云ふ遺憾は日本の各時代と各流派と

を代表する美術品に就いても常に感じる

ことである。

 

私は紀州の徳川侯が南葵文庫を公開され

たり、尾張の徳川侯が有名な源氏物語絵

巻其他の貴重な美術品を先頃一部の人達

 

一日の縦覧を許されたりしたやうなこと

が続々行れて欲しいと思つて居る。

 

今の若い芸術家は自分の国の芸術を知ら

ないと云はれるが、知らうにも知る機会

が非常に乏しいのである。

 

私の知つて居る若い文人で木下杢太郎さ

ん程日本の芸術に該博な知識を持つて居

る人は無いと思はれるが、

 

木下さんが其れまでに蘊蓄されるには非

常な注意と時間とを費されたことであら

う。

 

巴里のルウヴル宮やリユクサンブルの美

術館のやうな所があつたら半年でも得ら

れる知識を、

 

木下さんは東京と奈良と京都とで恐らく

十年も費して居られるであらう。

 

私なども日本では其断片しか見なかつた

浮世絵を、初めて白耳義アンゼルの博物

館で各流派に亘つて一目に知ることが出

来たやうな次第である。