2024年1月 岡山県 井原市 高屋町の石鎚山大権現(7) | 旅する石鎚信仰者

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やはり石鎚山は素晴らしい。

岡山県井原市高屋町石谷に石鎚山大権現がある、ここの事は井原市史VI民俗編

794頁に以下の様に記されている。

「(7)高屋町石谷青山 境内の石仏には石鉄と彫られ文政十亥五月吉日講中とある。

鳥居には石鉄山大権現の石額があり、石柱には天保九戊戌とみえる。明治二十五年

頃には、田が五畝七歩、石鎚神社敬信講持ちであったことを示す石碑もある。現在は

銀山谷、宮賀の人々が祭っている。」と詳しく記されてあるが位置情報は高屋町石谷

青山であり、現在では特定できない住所である。

この石鎚大権現の調査は二回目で前回は2021年11月、高屋町石谷は数件の民家で

しかなく、山に挟まれた地区でそれらしき所を探すも全く情報は得られなかったが今回

は思考を変え地図に惑わされることなく、情報にある「銀山谷と宮賀の人々が祭って

いる」という点から、この両集落の間を調査、無事に発見できたものである。

この石鎚大権現は井原市史に記されている中でも興味深い石仏の写真が掲載されて

いて今回の発見は感極まるものがあった、調査してみると本に掲載されている石仏は

西国三十三観音霊場である事が分かり、この地域にミニ霊場がある様子、本に記され

る鳥居の他に神殿も存在し、祭壇には今まで見た事もない様相の石鎚蔵王大権現に

カラス天狗が残されていた、しかし今ではこの地区の人々の記憶からも消え去り麓か

らの登拝道は消え去り自然に戻っている、神殿の感じからして数十年は誰も来ていな

いと思う、しかし石鎚大権現は先人達が築き上げた古き石鎚信仰の面影を残し今に

伝えているm( _  _ )m

 

 

 

 

 

 

井原市史に掲載されているこの写真だけが頼りである

そしてどうみても如意輪観音であるが下部に石鉄と読める

 

高屋町石谷の石鎚大権現の位置

 

等高線で見ると石鎚大権現まで道がある

 

ここが車道からの登拝口

 

まっすぐ広い道を進むと

 

前方が開けてくる

 

ここが石鎚大権現

 

まず目に入る石仏はパッと見ただけで本にある写真と同じである

 

やはり上部はどう見ても如意輪観音である

 

如意輪観音の左には「ニ十七番」

 

西国三十三観音霊場 第27番札所圓教寺である。

この地域に西国三十三観音霊場が祭られていると思う

石鎚山と直接は関係は無いと思うので

たまたまこの地に祭られた事でこのように記されたのだと思う

 

  「文政十亥五月吉日 石鉄 講中」

 

傍にある堂は傷みが激しい

 

祭壇には御神像が取り残されていた

 

中央に石鎚蔵王大権現

今までに見た事が無い表情の蔵王大権現

 

左のカラス天狗様

 

右のカラス天狗様

 

右にある二体のカラス天狗様

 

堂の傍に小さな石碑がある

 

正面に「石鎚神社」右側面に「田五畝七歩」

左側面に「敬信講 明治廿五年辰壬十三日」

 

石鎚大権現は東向きに祭られ正面に麓からの道が続いている

 

降り口にある手水舎

 

下を見ると鳥居が見える

 

井原市史に記されている石鎚大権現の鳥居である

 

道は下へ続いていたがかなり荒れている様子

おそらく数十年誰も通ってないだろう

 

鳥居の神額には「石鉄山大権現」

 

右の柱には「奉寄進」

 

右側に「天保九戊戌」

 

左の柱には「世話人 惣氏子」

またひとつ石鎚信仰の地が消えてしまった誠に残念である

m( _  _ )m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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