2016年3月 高知県 佐川町 三宝山の石鎚遥拝所 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。


石鎚山探索 955頁の結末とは

佐川町史(下巻)という分厚い本の955頁のたった一節だけにこう記されている

石鎚遥拝所

「虚空蔵 三宝山 西山 小奥 上郷荷稲 などの地域いたる高峰にある」以上

普通ならたったこれだけの情報で探しに行こうとも思わないだろう、しかし経験と

時間と執念があれば見つかるものである、しかし無理なものは無理と言う事

昨年この5ヶ所をすべて調査したが三宝山と上郷稲荷の2ヶ所はどうしても発見

する事ができなかった、しかし最近になって読者の方から上郷稲荷 の石鎚さん

情報を戴き発見する事ができ、残るは三宝山のみとなった

しかしどがいに調べても佐川町に三宝山と言う地名や山は無く、佐川町のどの

書物も記されていない、この「三宝山」と言う文字は佐川町内には存在しない

事から場所特定ができず必殺の現住民聞き込み調査ができなかった。

1度は諦めた調査だが残るは1つともなると何としても見つけてみたい石鎚さんで

ある、そして今回思い付いた必殺技は佐川町役場へ乗り込む事に

ここなら地元各地区の方が長年働いているので年配の人を捕まえれば何かの

情報があるかも知れない、そう思ったのであるが僕は気が小さいので入りにくい

しかしこういう所って散々たらいまわしにされるのよね、小さな町の役場なので

観光案内部署などあるはずも無く地図に無い地名を普通に聞いても分かるはず

もないので若者が食事に出かけるお昼休みを狙って行ってみた

何よりも年配の方を相手にするは自分的にも得意分野である

そして電気も消された薄暗い1階ロビー総合受付で「観光案内所ありますか?」

と尋ねると予想通り、ありません

そして粘り強い問いかけの結果「チーム佐川」という部署を紹介していただいた

聞くもやはり、知りません(>_<) ! !

気力は果て途方に暮れる寸前で、隣の部署に居た年配の男性から声が

「三宝山知っとるよ、子供の時はそう言よった ! !」

すべてが功を奏し三宝山の場所を特定する事ができた。

そしてこの山が三宝山(さんぽうざん)であると地図で教えてくれるも、登山口が

あるのか無いのかも分からないと言う。

ここからは自分の直感を働かして現地聞き込み調査である、三宝山の北にそれ

らしき細い道が地図で確認できた、ここから入ってみよう 

そして「どうなってもいい車」で「どうなってもいい格好」で現地へ乗り込み徒歩に

調査開始、林道入口最後の民家軒先に超お爺さんがぼ~っと座っていた。

あの~と問いかけると三宝山は目の前で登山口はこの先にある鉄塔巡視路だと言う、一発で確認でき

そして無事に三宝山山頂へ立った訳であるが予想に反し山頂までリボンがあり

登山客も登ってきているよう、そして現在この山は「九反田山」と言う山名のよう

で山頂票もあった。

山頂には石垣跡が広くあるものの祠や神社は無く、ずいぶん前に崩れた感じで

今は何もなくなっていた、そして更に調べてみると
「佐川町 わが町の文化財と旧跡」という本の「神社の部」のとこに記されている

「明治四十三年十一月末~(院光寺山)石鉄神社~曽我神社へ合祭した」

とあり、この曽我神社 は既に調査済みであるがこの神社はこの三宝山の南面

麓にあり院光寺山とはこの三宝山である事も分かった。

どおりで山頂には何も無いはずである、と言う事でこの山は明治・大正・昭和・

平成の間に院光寺山→三宝山→九反田山と山名を変えた事になる、この山が

三宝山である事は2人の現住民の方から証言を戴いているので間違いない。

という事でこの三宝山には石鉄神社があったが明治後期以降は石鉄神社は

山頂では無く、この山の麓の曽我神社へ合祭され山頂は石鎚遥拝所となったと

いう事になり、三宝山の石鎚遥拝所・院光寺山の石鉄神社跡同時に2つの石鎚

さん今回発見する事ができた。

これでようやくこの本の955頁は無事に完結した訳であるが928頁から937頁まで

これまた意味不明の地名が記された石鎚神社がある

 

 




 

三宝山はここにある
 
登山口となる丹生神社から山頂までのログ

33号線富士見橋から見る三宝山

地図の「市の瀬」と記された下の道にある丹生神社から
徒歩に切り替えて登山口へ進む
左側の山林が三宝山で現在は九反田山という
 
まず誰も居ない道を歩く事数分
 
右下に大岩がある
あれが登山口の目印と教えていただいた

そしてすぐ先に鉄塔巡視路の入り口がある
ここが三宝山への登山口、丹生神社からは数分のとこ
 
入口に立っている鉄塔の番号杭
 
まるで遊歩道だ
 
迷う事のない登山道を登る事数分
 

鉄塔の真下に出た

登山口を教えていただいたお爺さんには
ここから先山頂までは道が無いと言っていたが
右の角に登山道らしき発見
 
20m程進むと右に岩があり左の木に
リボンが数本巻かれてある
道はここから先は下っている、どうもここが
山頂への入口のようだ

 
見る限り登山客が巻いたリボンである
 
薄い踏み後はあるものの先々にリボンが見える

GPSで確認しても目的とする山頂へ向かっている

僕には何となく参道に見えるのだが
そして踏み後は消えリボンだけを頼りに登っていく

山頂の直下で立派な石垣が2段現れる

石垣の左側から巻いて登ると山頂
鉄塔から10分ほどで登った
 
ここが三宝山の山頂
三角点があり崩れた石垣がある
中央に少し大きめの石が崩れたようにあるが
祠を形成する形でもなく何か分からない
しかしここが石鎚遥拝所である ! !

ここで始めて「九反田山」という山名を知る事に
どうも結構な登山客が登ってきているようだ
 
山頂の石垣の感じからして南向に石鉄神社があったよう
これは根拠の無い僕の推測だが明治初期の頃は
ここに石鉄神社の木製の神殿が建てられていたのではなかろうか?
石祠があった痕跡も無く周囲に広く石垣跡が残っている

横に並ぶ石垣の正面はぴったし南向き
しかし明治の頃ここに石鉄神社があった事を
どれだけの人が知っているのだろうか?
信仰の場が失われ忘れられていく
当時の信者さんは無念極まりないだろう
 
 
 
 
 
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