高知県高岡郡佐川町に小富士山があり山頂に石鎚神社がある。
ここ佐川町の石鎚山探索は昨年力を入れた地区であり、既に調査も限界に達し
ていて昨年で探索を終えていた地区である。
そして最近読者の方から一報をいただいた情報であるが今回いただいた情報は
「佐川町史(下巻)」という本に載っている上郷荷稲にある石鎚遥拝所である事が
分かった、いろいろな手を尽くし数日間にわたり探し周ったが結局発見する事が
できなかった石鎚さんの1つである
その石鎚さんが今になって発見できた事は本当に感激極まりなく、いつものよう
にこの場にて厚く御礼申し上げますm( _ _ )m
現地へ行ってみると登山口を示す看板があり分かりやすい、林道を数分進んだ
所に山頂に向かって登山道が続いている、ほぼ直登りだが既に登山口から山頂
の稜線が見えている、そして山頂にたどり着くと立派な石組の石鎚神社の祠が
鎮座していた。
綺麗な石組の上に置かれているように見えるが後へ回ってみると実際には山頂
に大岩が突き立っていてその上に石鎚神社が鎮座している。
何よりも正面から左側へ周り込んでみると石組の間に古い鉄鎖が置かれてある
そんなに長くはないが先端にリングが付いているのでこの祠の後ろ側に垂らされ
ていたのだろう、上から覗きこむとそんな感じの所である。
そして1枚の看板があり山頂から西に行った所に展望所があると記されている
結構距離がありそうだったので感心は無かったが何となく行ってみる事に、山頂
伝いに行くと大岩がごろごろしてきて端地に更にでかい大岩が突き上げている
何と、その大岩の上には祠があり中には右手を上げた像が見える
石鎚蔵王大権現である
この石鎚蔵王大権現を見た瞬間、今日はこの権現さんに呼ばれたな、と思う
瞬間であった。
山頂の祠は基本の南向きである、この石鎚蔵王大権現は北向きであった
高知県は地形や方位の関係もあるが今まで発見してきた石鎚さんは信仰してい
る村や集落の北側の高台に鎮座し南向きである事がほとんどであり、その石鎚
さんの祠正面に信仰する村や集落が見下ろせる位置にある。
経験上、この石鎚蔵王大権現は故意にどこかを向いているようにしか思えない
はて、どこを向いているのかな?GPSで方位を合わしてみると正確では無いが
先人は本物の石鎚山に向けて置いたのだと思う、これは僕の勝手な推測だが
たぶん間違いないと思う、だって自分だってそうするからさ(^_^)。
そしてまた今日もこうやって新しい石鎚山を発見した訳であるがこの感動を一言
にすると「やはり石鎚信仰はすばらしい」という事である。
中央の綺麗な三角形の山が佐川町の小富士山
老人ホームわかきの桜の少し東の
まだ車で行けるが徒歩で入ってみる
途中祠が3つ並んであった
左側にまた祠が現れたが、これは稲荷大明神であった
小富士山本体に近づくと舗装が途切れる
ここから先が小富士山本体である
道はにゅるにゅるになる
すぐに登山口が現れる
ここから既に山頂の稜線がちらちら見える
ほぼ直登り
ここは休憩所だった
いちばん高い場所には立派な石組の石鎚神社 ! !
おぉぉぉ~~っ ! !
看板が立てられ開山記念碑と同じ年月日である
石組の祠の中に小さな祠があるが空っぽだった
大小3枚の木札があるがかなり古い
先端にはリングが付き細い
正面から見ると分からないが裏側から見ると
石鎚神社はほぼ正確に南を指している
正面に大岩が突き出ていて緑が茂っている
この大岩が展望所のようだ
上を見上げると ! !
登ってみると祠の前には常夜灯のような石仏
左腕と右足が折れているが立派な石鎚蔵王大権現
落ちていた左腕を付けてみると
この石鎚蔵王大権現は北北東を向いている
ずっとここで86年間睨みを利かしてきたのだ
下に下りてみるとここは10mぐらい突き出ている大岩である
道は無いが以外にも開けていたので西側へそのまま下りてみた