台風接近。

/ひまわりの花捩じれゆく暑さかな

/ヒルガオの色目を覚ます通り雨

/ムッとして日照りの後の通り雨

/アボカドがいいと膝には夏の夕

/もう少し喜久井町まで梅雨晴れ間(漱石)

/驟雨また話の外(ほか)を持て余す

/色白の人眼を覚ます交差点

/夏だねえ焼酎炭酸にレモン

/飯田橋神楽坂上近けれどお着物の人あんまり遇わず

/西瓜食ぶ教行信証の在処(ありど)

親鸞52歳、1224,4,15日、草稿本完成されたとされる。

 

刹那覚えずといへども、これを運びてやまざれば、

命を終ふる期(ご)、忽(たちま)ちに至る。『津徒然草』

 

近づけば近づくほど、死は具体性を失い、曖昧に。

「なすすべもなく、待つともなく、死のときが来るのを待っている」。

「きみたち僧は/悩むな。悲しむな。

/私がどれだけ生きようとも、

/いつか死ぬ。それまで生きる。

/別れは来る。それまで出会う。」

『仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)』

 

『教行信証』この他力の信心を獲得したとき、

人間に生まれてよかったという生命の大歓喜が起きて、

絶対変わらない絶対の幸福に救われます。

 

倉石智證

夏つれづれ。

/太陽に縮み上がりてリコピンの凝縮されて冬にまで待つ

/夏育ちナツズイセンの真直ぐに

/てっぱう百合蕾膨らみ朝に待つ

/宵待ち草出荷の道に咲きにけり

/聞いてゐるだけで下腹が痛くなる膀胱がんの検診のこと

/おいミミズなんでおまいは炎天下

/夏落ち葉掃いたそばから落ち葉かな

/西瓜採ってただ上京をいそぎけり

/茗荷茸認知抗いがたきかな

/スリバンドク名札を胸に茗荷かな

/道迷い片陰の先こ暗がり

 

倉石智證

炎帝

/炎帝や門柱に影動かざる

/仏壇の西瓜気になる暑さかな

/藁日傘作りて苗にガンバレと

/蔓もののしぶときまでに石垣に

/宵待ち草はあそこにあゝあそこに

/とんばうの空に停まってまた風に

/じいさんの裸になりて扇風機

/涼しさや蔓の仕草を学ぶまで

/叩いては西瓜迷惑顧みず

/電線の鴉はみんな口あけて暑きエアをのんどに冷ます

/午後になり風立躁ぐ土蔵壁

/水撒いてそっと家人は家居かな

 

倉石智證