家族会と映画鑑賞と。

ぼおくらはもの喰ふ人らになりました。七時ころには集まるのです。妻はせっせと握りをこさへます。息子は上野に行って特上の珍しい部位の肉を仕入れて来ました。いいですね。娘がサラダを取り分けてくれます。大して話があるわけでもありませんが、とりたてて時たまわっわッと盛り上がります。乾杯ですよ~。なんとなく制限が解かれたやうな気持ちになって、そのうちだんだん調子づいて来るのです。4/1明日から春の交通安全週間だと云ふに、ついついオーバードリンクになってしまうのですね。

映画も観ました。『パリタクシー』です。80歳を超えたおばあちゃんの追憶をのせて、中年のタクシーのドライバーとのだんだんの会話のやり取りです。老いて幸福ばかりが在るわけではないが、施設へと向かうけふ、次第にしみじみとした交流になるのです。死は最期はひとりぽっちに。矍鑠としていたおばあちゃんも、入所後しばらくしてすぐに心筋梗塞であの世に。施設は清潔で閑かで人気が感じられない。訪れたドライバーの夫婦に、公証人が封書を手渡します。「あなたはきっと出掛けることになりますよ」。楽しかったとお礼の言葉ばかりでなく、まるで親族ででもあるかのやうに、遺産相続の言伝も記されていたのでした。

 

倉石智證

何処クークー、何処クークーとばかり啼ていた。

1956深沢幸雄「めし」

 

腹が笑ふ/心弱くても優しければいいじゃないか/ところがそうはいかなくなった/腹が減った/ほんたうに肚が凹んだ/腹を探り合ふ/ほんたうは分かり合えてなかった/川の流れのやうに/川は腹を空かせない/川の流れのやうに/川は余計なことを思惟しない/川のやうに、川はきっとなにかを棲まはせて/そんな電車に乗って川の橋を渡った/陽が橋梁に沈むころ/やたらと腹が減ってもう隣の人にタスケテクダサイ/心弱くてもやさしければいいじゃないか/人の足を踏んづけておいて/ところがどうもさうはいかない/隣の人のではない私の腹の場合/隣の人の場合はもう腹が笑ふ/不幸なことなんかさっぱりなくて/わたくしもついつられて/でも今でも寒さの中に/あそこではおろおろしている人たちが大勢いるだなんて

1973高山辰雄「食べる」

 

世界に在る不条理。

 

倉石智證

さくら、さくら、桜…

スマホかざせし色の春。

/命日や一炷(いっしゅ)さておき花満開

/坂上がる寺院を廻る桜花

/水流や桜花の幹の兀兀(ゴツゴツ)し

/マスクして手袋をして桜かな

/チューリップ供花仏に花披く

/“寒玉”にお好み焼き屋手を合はす

/無垢なる兒子は天心に眠るかな拳広げて母なるものに

/紀伊国屋に行くと云ふ明日は花の雨

/裏通りまだ見ぬ街を花盗人

/行く道にスマホかざせし色の春

/こんなにもさくらさくらの弥生尽

/行く春や木五倍子(キブシ)の色の桃色に

不断通らない裏通りを散策する。

さくら、さくら、桜。

また丹精された花壇。

約6000歩。

 

倉石智證