宇宙図となった【曼荼羅図】の源はどこから来たのでしょうか? | 神聖寺 隆健 090-3085-9732

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神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし


上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
曼荼羅起源のさらに古い〜古い源 。
タントラ= 瑜伽(ヨガ)に利用され、宇宙図となった【曼荼羅図】の源はどこから来たのでしょうか?
古代インドでは祭祀をするに、まず、密林(ジャングル)の中で、良き土地を選び、それから 東西南北を設定し、周りに結界を張り、綺麗に整地した空き地に、火を焚き、呪法儀式をするための土の壇、【護摩壇】を平らに作りました。
その場所で、彼らの神々を降臨する祭祀、祭り事を行ったのです。
・・・[結界とは 祭祀のために 、護摩壇を築き、そこを聖なる場所と定めるため、その中で障害となるものや 魔を除く作法をすることです ]
それを [【曼荼羅】 と呼称しました。
初期 曼荼羅の護摩壇は、自分たちのテリトリー・ 城郭をデザインした四角の形で、中心に仏様 、周りに守護神の絵図を書いただけの簡単なものだったらしいです。
祭祀の目的は火焚きを、その火を神々への供物にする。
それを目当てに 、神々が降臨する。
そして神と呪者の一体化が起きる。
結果 、呪者の祈願(除災招福 )などが叶えられると考えられました。
曼荼羅とは元来 、地面に描かれたものからの発生です。
その曼荼羅がタントラの宇宙図 の【曼荼羅図】になったようです。
曼荼羅の変遷 はインドの人間の歴史 ・宗教史を織り込みながら、
中国思想で色付けられ、デザイン化されます。
やがて空海 (弘法大師)により、日本の地で【大きな曼荼羅】としての花を咲かせるのです。