仏教の観る『悪』=『貪・瞋・痴』(とん・じん・ち)とは何か? | 神聖寺 隆健 090-3085-9732

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神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし



上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
さあ~、つぶやきを進めましょう。
大乗仏教は『悪』を特定することからスタートします。
仏教の観る『悪』とは何か?
その『悪』の代表が『こころ』に溶け込む三種の感情である『貪・瞋・痴』(とん・じん・ち)です。
『貪』とは「めちゃくちゃに、何でも欲しがる、むさぼり」の『こころ』です。
『瞋』とは「くやしい!悔しい!と思う、怒り」の『こころ』です。
『痴』とは「目の前で事が起きているのに、
何もわからない・気付かない無知」の『こころ』です。
『貪・瞋・痴』(とん・じん・ち)は善根を毒する三つの煩悩とも呼ばれ、仏教の世界では、世に『三毒』とも言われています。
お釈迦様の教えの大乗仏教の原点は、因果応報であり『三毒』(悪なる感情)に基づいて生きれば、必ず『不幸・苦しみ』の結果を迎える教えです。
逆に「欲のないこころ」を『不貪(ふどん)』と言います。
『不貪(ふどん)』とは、何かが欲しいよ~と思う欲『貪』の逆の『こころ』です。
言い換えるなら、誰かに、何かをあげたい!誰かに、してあげたい!誰かに、施しをしよう!との『こころ』です。
〔行動には『見返り』を求めない『こころ』がセットになっています〕
怒りの反対は『不瞋(ふじん)』です。
これは慈しみ、優しい、明るい『こころ』の事です。他人に楽しみを与える『こころ』です。
『痴』の反対は『不痴』です。
きちんと物事をありのままに正しく観る『こころ』です。
まとめると『三毒』を滅っする反対の『こころ』が『不貪』『不瞋』『不痴』となります。
ここに『不』と言う言葉が登場です。
さて、みなさん、ここに『不』と言う言葉が登場しました。
ここが、大乗仏教の要です。注目です。
次回に続く。