王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


人を殺すことが
出来るなんて…と

口にする人が
ベジタリアンでも
無い様に

とても冷ややかで
冷めた気持ちに
成ってしまう。

そうした人は、
今の自分が
他者のことを
語っているつもりで

今の自分が
どのようなモノであるかを
自ら、主張している事に
気付いてもいないのだろう。

詐欺に騙される人が
詐欺に騙される人を

嘗め馬鹿にし見下して
寄り添うことなく
お鉢が回ってくれば
振り込んで

自らが、他者に
騙されたと知れば
自らを、騙したモノを
詰り、悪く云う様に

とても冷ややかな
冷めた気持ちに
させられる。

そんな気持ちに
蓋をして、

他者の蝙蝠のような
そのありように
目を瞑れば

人を殺してしまう人が
後をたたないことが
何故だか、シックリ
来てしまう。

自分が何をしているのか
気付いていない人には
時折出会う。

そうした人に
出会ってしまった者は
主観的だろうけれども

誰もが
同じ想い気持ちを抱え
自らが、辛抱(辛抱)を
選ぶのだろう。

だけれども、同時に、
相手に対し

貴方にどんな
想い気持ち主義主張が
あったとしても、

その行為は
このような行為と
捉えることも
出来るんだよ。と
誰もが思うことだろう。

それでも、今、
相手の行為を
このような行為と
捉えることなく

ソコに至った過程を
透かし観て
今回は目を瞑ることが
出来る者は

ソコで、自らに
辛抱(信望)を科して

次は無い。
次に同じような行いに
及んだ時には

貴方の抱える
想い気持ち立場
都合事情
主義主張など関係なく

問答無用に
其の行いは
このような行為
だったのだ。と捉え

貴方のように我儘に

わたしはわたしの
想い、気持ち
立場、都合事情
主義主張を以て

こうなってしまうとは
想いもしなかった。と
今、自らが抱えていた
想い気持ちを吐露し
すがるように、抗弁する
貴方に対して

容赦なく
貴方が、どのように
捉えようとも
構うことなく
貴方と同じ真似を
貴方にするよ。

そう、念を押し

今、自らが抱えていた
想い気持ち、
主義主張を吐露し

安易、安直、
不用意に
己以外の全ての
物事事象を軽んじて

アテにしていた
結果に成らずに
思わぬ結果に陥って

すがるような真似を
してくる者に対して

とても冷めた
呆れた気持ちに
成りながらも

今回限りと
自らが他者に寄り添い
目を瞑り
辛抱(信望)することを
己に科す者は

今、ソコで、
他者を救えども

次は無い。
次に、やったら殺すよ。と

相手の耳に
やっと聞こえる位の声で
囁いては

其の、やり取りを
危惧する
周囲に向かって

気を使わせて御免なさいね
大丈夫だから
皆は皆の持ち場に
安心して戻ってね。と

にこやかに
微笑むことだろう。

其の後、暫し
すがって来た相手との間に
聖者の沈黙の時が流れ

その流れる時の間に
独り佗しく寂しく
心細い孤独を覚え

赦された筈なのに
救われたように感じない
欲張りな貪欲に犯された
エゴを後生大事にする者は

恥辱汚辱屈辱に
我慢を覚え

己の罪をも独り背負えず
反省、成すこと出来ぬまま
拗ねイジケ
甘えたい心を其のままに

自分は他者に
甘えることさえも
出来ない。と
駄々を捏ねだし

進歩なく
自らの言動に
自己責任
背負えぬ行いに
自ら及んでは

己がソコに至るまでに
ほんの一時、抱えただけの
想い気持ち立場
主義主張を訴えて

意味なく自分を
慰めに貶める真似をして

耳を貸してくれずに
その行いに
目を瞑ってくれない相手を
呪うような真似をして、

この世のソコで、
自らが、見い出すモノを
違えたまま

類は類へと
己が選んだ道へと分かれ

ソコには
この世で興る物事事象を
自らと同じように
捉える主観が集う

其のことに
この世のソコで、
気付くこともなく
 
多くのモノに賛同され
支えられ
担ぎ出されるようにして

自らが抱える想い気持ち
主義主張を唱え訴え
自らが望み欲するモノが
得られるかのようにアテにして

その行為は
このような行為と
捉えることも
出来るんだよ。

他者に、そのように
捉えられてしまう行いに
自らが、及ぶには
それなりの覚悟を以て
及んでいるんだよね?

貴方のことを
知ろうともしない他者に
このように捉えられても
いいんだよね。

そう誰かに
捉えられたとしても…と
意を決して
他が為に自分が…と

貴方が深める業の一切に
当然、自己責任を担い
他に向き合って
いるんだよね?

それならば善し
そうでなければ
憐れ不憫なことだけど

貴方を誤解する人を
怨んでも憎んでも
恩を押し売りしたところで
情けを買おうとしてみても

誰も救けては
くれないんだよ。

友達に囲まれ
ふざけ戯れ
調子に乗ることが
誰にでも
あるだろうけれども

貴方が貴方の主観に 
すがり固執し
他者に貴方の主観を
想い気持ちを
今、共有して貰えることで

今の貴方の体裁、
体面、世間体、面子が
保たれるのに…

なんて、救いを
この世で求めてしまう者は

きっと自分は
無垢で無邪気な善だ。と
思い込み

己が罪にも気付けずに
己の業や報いをも
独りで背負いきれぬまま
今を生きているのだろう。

どのような想い気持ち
立場都合事情
主義主張を唱え訴え
叫ぼうとも

最早、思い込み激しく
常日頃からの
己が業に罪の報いも
独りで背負いきれずに

すがり甘え
依存しきった挙げ句に
罵詈雑言を
浴びせる真似をする。

必死に必死に必死になって
何かをするようでは
遅いこと。

付け焼き刃にも
成らないことに
気付けずに気付けずに
 
誰もに平等に具わっていた
人としての尊厳を
自らがこの世にて
貶め汚す真似をして

自らを苛み傷つけ
他者を羨み
怨んでしまうのだろう。

他者の想い気持ち
主義主張を聞いて
「分かった。赦してやる」と
この世で口に出来る者には

誰の想いも気持ちも
届きはしないだろう。
 
体裁、体面、世間体
自らの今の面子がために
働いて、

カンダタのように
自分が助けたつもりの
蜘蛛に向かって

自分は、あの時
助けてやったのに…と
漏らしては

蜘蛛の糸が
何故に断たれるか
気付き知ることもなく

己が想い気持ち立場
都合事情主義主張を
唱え訴える真似をすれば

憐れむ他者が
手を差し伸べてくれると
信じている主観を
有している
優し過ぎる人が居る。

この世にて
己が想い気持ち立場
都合事情主義主張を
唱え訴える者に対して

目を瞑り、
顔を反らし
手を差し伸べてもくれぬ
存在を

人として認め
敬うことが出来ぬ者が
慈しみの深い
人に成ることなど適わない。

ソコに同じモノを観て
観えるモノは
人其々に違うこと。

どのような主観を
今、ソコで、有するモノかを
人は各々、自ら晒して
この世のソコに顕現している。

今の貴方のありようが
他者に、どのように
捉えられてゆくことに

自らの想い気持ち
主義主張を主張して
引留めようとする者は

ソコに独りで立つことを
他者にどのように思われるかを
畏れているように映る。
 
その様は人でなし
他者の想い気持ちに添えず
己が想い気持ち、エゴ
我欲に囚われて

越え難きを越えれずに
心細さに囚われる
脆く儚い危うさそのままに
この世にて迷う者が居る。

何故だか
そうした者ほど
自らのことを「善」と
信じこもうとしている。

そうでもしなければ
今、自らが行う業の報いに
追われ押し潰されるかのように
 
今の己に鞭打って
己を動かす者がある。

そんな貴方を救えるのは
貴方だけだ。と
気付けずに
 
己が想い気持ち
主義主張を
唱え訴え叫んでは

今の己を救わずに
他者を求めてしまうモノの
背負う罪、犯した業は
何なのか

せめて代わりに
その報い共に
背負おうと願い
他に寄り添える者から
順に己を救ってゆく。

人がこの世で
その背に独り背負うモノは
きっと、等しく平等なのだろう。

他者が背負うモノに
気付けず、楽を観て
今、自らが背負う荷を
下ろし擲ってしまうモノは

いつまでも
いつまでも
この世にて己自身を
救ってやること適わずに

何故に自分ばかりが…と

この世のそこで
己が犯した
罪に業に報いに
気付くことなく 
独りで其れ等を背負えずに
 
其れ等を独りで
背負うことを苦に感じ
この世にて独り
迷い続けてしまうのだろう。