王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


ちょっと気付けば
気持ちがサワサワと
感じていることを
伝えようと病院にいくと

お盆前だからか
今までにない位に
待合室が混んで居て
診察室に入った時に、

いつもは
「変わりはないですか?」と
訊ねてくる
お医者が、

「変わりはないですね?」と
おっしゃられると

今日は特別混んで居て
お医者も忙しく
疲れていらっしゃるのだ。と
 
思わず、気兼ねし
「ハイ」と応じて
いつも通りの薬を
処方して貰うに留まる。

それでも、
お医者が、その事に
気兼ねをされたのか

それとも訪問看護の方に
お医者が、
わたしの話を聞いた後に
直ぐ、

じゃあいつも通り…と
おっしゃられるのに

いつもは
なんだか
物足りないと言えば
物足りず
寂しいと言えば寂しくて

以前かかっていた病院の
先生を思い出して
しまうことを

わたしのエゴ
わたしの恥
わたしが依存している所為と
毎度、わたしを戒める。

そのことを
訪問看護の方に、
伝えたからか

じゃあ、
いつも通り…と
おっしゃる先生の
言葉がいつもと違い

濁っていて
ソコに先生の
気兼ねを感じ

先生も一人、一人の
患者に対し、
ご苦労様なことだなぁと
頭を垂れる気持ちになって
 
わたしのこの頃感じる
サワサワ、ゾワゾワする感じは
私事と引っ込める。

そうすることが
以前の先生に罹ろうが
どんな先生に罹ろうが

当たり前と
思っていたけれど

今の先生が
訪問看護を派遣してくれ
その人に打ち明ける事が
出来る状況下に
今はある。

それを思うと
以前の先生よりも
今の先生の処置が
助けに成っているように思う。 

それでも
以前の先生が
個人的に合っていたように
感じてしまうのは

発作時に
幾度か処置をしてくれて
発作を抑えてくれたり
してくれて、

長い間、何かあると
其の先生に
話をしては

其の先生の主観的な
アドバイス

花の世話の仕方等にも
先生の経験を話してくれる

その事が、とても
有り難くて為になり
先の安心、
どのようにしようかの
方向性を指し示して
貰えていたことに

話を聴いて
貰えているように感じ
寄り添われているように感じ

長いこと、そのように
先生と話せば安堵する。と
わたしもわたしに暗示をかけて

長いこと 
依存していたのだなあと

砂時計の砂が
己の手に乗せて居たモノが
キラキラ、サラサラと
舞い落ちる情景が

この事を
考える度に
脳裏に浮かび。

涼やかな風に
一人吹かれる想いをする。

お盆前、
今日も違う病院へ行く仕度を
ソロソロはじめなければ…と

窓の外、向かいのビルから
もう照り返す
日射しを見ながら想う。
 
その脳裏に
ソワソワ、ザワザワを
わたしに覚え差すモノを
鎮めながら

今日もわたしは
動き出す。