王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


人と云う
自分とは違う存在を
理解出来ない
分からない
信じられない。と

忌避してしまうのは
信じようと
することよりも
簡単だ。

ある児童相談所の人が
子供は親を庇うという
言い方をしていたけれど

アダルトチルドレンだった、
私は、その解釈は
少し、事実とは違うと
知っている。

傷を負わされようと
無垢で無邪気な子供は
あさましさではなく
信じようとする力が
当たり前に強いんだ。

それも子供が
自分の世界観に
獅噛みついている。と
捉えてしまえば
それまでだけど

私は無垢で
無邪気な子供は
徳を有している。と

自分とは違う
幸せな家庭の子供を、
眩しく見ていたことが
あったけれども

振り返れば
過去の私も随分と
眩しく尊く映ることから
徳とは誰もが
有しているモノと

無垢で無邪気な子供は
そこら辺の
歳ばかりくった大人より
よっぽど真が強く
忠実で、賢明に
今を生きている者と
思っている。

最初から具わっていた
徳を、人は
誰かのために失い
仁の人となり

仁を、人はまた
自分のために失い
義の人となり

義を、人はまた
自分のために失い
礼の人となる。

或る人が
礼をもって接されると
心がソコに
籠もらないように捉え
冷たさを感じ
不安、焦燥に晒されるから、
止めてくれと

云うのを聞いたことが
あるけれど

その一言から
この人は常日頃から
マトモな社会人のように
どんな相手に対しても
忠実に礼をもって
人に接し続けることが無い
人生を送って来たんだ。と
察せられた。

仕事とはお金を
貰うばかりのことではない
業務以外に知らず
その身に付随する
当人さえも
当たり前過ぎて気付かない
為に成ることが
とてもたくさんある。

入社して最初の
ゴールデンウィーク後は
後ろ髪引かれ
我慢を覚えることが増え
自らがやる気を削いでゆく

社会で毎日働いて
3年もすれば
諦めようにも映るけれど
そんな想いを長引かせず
当たり前に祓える力が
付いている。

後進を前に
そうして今の自分に
具わっているモノを
後進と今の自分を比較して

昔、確かにこの世にあった
今の後進のような己の
そのあり様を後進に寄り添い
偲び弔うことが適わずには

人は自らが、欺瞞という
泥濘に嵌り
過去の自分をも偽って、
あろうとか
過去の自分が今の己の
足下を掬うモノになってゆく。

自らが、この世に
確かに在った
己自身のあり様を偽って
そのようなあり様の存在を
この世に認めぬ己と成って

自愛に達すること適わずに
己が慈愛に包まれることも
生かされ救われることも
適わずに

己が慈しみの情を
自分のこの世の在り方から
育み養いきれぬまま

過去の自分のような
姿、姿勢、あり様の者を
この世のソコに見ては
言葉に出来ない苛立ち、
不安、焦燥に犯される。

自らが過去の自分の
弱さを重ね
己が弱さを克服出来ず
ひた隠し、誤魔化し
向き合うこともなく

誰かや何かのために…と
己の過去を偽って
自らが業を深めては
安易、安直、不用意に
人は欺瞞に落ちてゆき

寄り添い過去の自分と
向き合って
過去の自分を偲び
健気さを徳を有するその様を
自ら慈しみ弔うこと
適わずには

過去の自分の在り方を
この世に認めることが
出来ぬまま

過去の自分の在り方を
自ら討伐するために
この世のソコに立ってゆく

他がためでは、既に無く
今の自分のその在り方の為に
自分の過去をも抹消し
この世を生きようとする者は

自愛に達することは
難しく
ただ、そうこの世で
生き続け、
今の自分のことだけを
信じてゆくしかない道を

侘びしく寂しく
孤独な心細さを背負いながら
それをも今、自ら
誤魔化して、
務め生き続ける
大きな十字架独り背負う道を
辿ってゆく。

過去の自分を自分が
好きに成れぬまま
尊く眩しく思えぬまま
他に知られることを
忌避して生きる孤独な道

幾つに成ろうと
過去の自分が
己の足下脅かす。

そんな道を
辿っている者は
何故か、無垢で無邪気で
真っ直ぐな
自らが、そのように
教えたにも関わらず

応え追いつこうと努力する
子供の礼儀にさえも
今の己自身が
脅かされたかのように
目を背ける真似をして

そんな子供が
習い従い真っ直ぐに
追随してくる姿勢を
認めることが出来ない
個人的な事情を
抱えている。

何に応えようが
不平、不満、不服、愚痴
苛立つ姿をあからさまに
示す。

回を重ねれば 
言っていること
要求することに
矛盾が多くなる。

子供がそれを訊ねても
自分が子供の頃には
難なく出来た。と口にして
己の弱さを語らずに

己が荷を
子供自身に押し付けて
真っ直ぐな子供の瞳から
目を反らし続けている。

瞳覗かれれば
全てが露見し
ソコに在る後進に
馬鹿にされ
嘗められ
見下され

今までのような
己で接することが
適わなくなるのを、
畏れるように。

実際、そう成れた方が
当人のために思うけど
当人が、そう成ることを
過度に畏れるのは

自業自得、因果応報
今までの自分のあり方が
返ってくるように
思っているのだろう。

目の前に在る
自分とは違う存在に
寄り添い共に己を
成長させること適わずに

自らが機会を棒に振り
己が体裁、体面、世間体を
己が無理難題を出す
後進の姿勢に依って
守護されて

目は合わさずとも
半身後ろを見返ることが
やっと出来るように成り

その己が姿勢に依って 
今の己が体面、体裁
世間体が成り立って映る。

そんな今の自分のような
姿、姿勢、あり方を
この世でしている者を見ては
半身がもがれる気持ちになって

そんな今の自分の
あり方を
この世のソコで再び
認められるかの試練が
科されて行く。

同情、共感
感じたつもりで
己が弱さに荷担して

現実からかけ離れた
己の世界観に浸り

この世のソコ
己の目の前から
そのような存在を
消そうと試みて

今の自分の実相から
目を背けるように働いて
「善かれ」のつもりで
動いても

その「善かれ」の想いを
汲める者は
後進には少ないことを
知れぬまま

過去の自分自身の弱さが
今の己に不安焦燥を与え
脅かし逃げるように
自分の世界観に浸ったまま
奔走し

泥濘に膝をついて
そのような振る舞いを
この世のソコで
誰かのために行ったつもりで

そんな振る舞いを
この世で成した
その体裁、体面、世間体
泥濘に膝をつけて
独り不安駆られ
孤独な心細さを抱え
泣きそうになっている
今の自分を立たせてくれる

誰かを求めながら
後進に手を差し出されても
突っ張って跳ねのけ

後進のために
自分はこんなこと
あんなことしてやった。と
この世のソコで
自ら、誇示しながら

その流れで
そんな後進を指さして
生贄にし足蹴にし
競い争い競り合い
張り合うように

他の誰かに
今の自分を認めるように
訴え願う姿、あり方を
この世のソコで晒しては

それ故に
その後進から再び
目を背けては

後進が自分に払う
礼にさえ脅かされる。

自らがこの世のソコで
礼を欠いて
そんな自分を誤魔化して

幾度となく
そんな場面で
後進から礼を払われ
後進が姿勢に依って

後進が、
そのように想うならばと
他の誰かに赦されて

後進と他の誰かは
共に労り偲び思い遣り

この世の誰が
そのように振る舞おうとも
功徳を当たり前のように 
積ませて頂ける

それも、この世に
そのように生きる者が有り
そのように生きる者の
苦しさ葛藤に寄り添って

そんな自分とは
違う存在の
あまりに不器用で
お粗末な「善かれ」を察し
認め、理解し、汲み
その荷を共に、
また代わりに背負うように

この者も、また人である。と
そのような相手にも
慈しみ育み養い
包み込むように

そのあり方
その振る舞いに至るを
理解してゆくことに
努めさせて貰いながら

そのままの
その人を認め愛して
この世界に生かして
貰えることは

その人が居なくては
成せぬまま

その人のように
自分とは違う存在を
馬鹿にして
甞めて見下し
認めることが出来ぬ

さもしく
寂しく佗しく
孤独で心細くもあり

また、当人が
この世での
その生き方に足りるは
孤高の道でもあるのだろう。と

ならば
自らがこの世のソコで
生き抜くのに
贄を誰をも求めては
イケナイんだよ。

自分がこの世で
自分の世界に浸り
誰かのために
何かを行い傷ついた。

それは自分が
自分のために
自分がし易いことを
自らが不安焦燥に駆られ

自らが弱さに荷担して
自らの世界観の中で
自分が背負いたくないモノを
忌避するためにやったこと。

誰の意見も想いも
聴くこともなく
自分勝手にやったこと

それでも当人は
「善かれ」の想い
そうして独り傷ついた。と
他の誰かに訴えて

他の誰かに
今の自分は、あの子よりも
優れていることを
認めて貰おうとして

その、あの子が姿勢により
助けてくれなければ
他の誰かに、そのあり方を
認めて貰えることはなく

異質のように
捉えられてゆく

幾つになって気付けずに
自分ばかりが独り
苦労多い道を
生きているかのように感じては

誰かや何かに
今の自分を認めて貰おうと
過去の自分の諸行から
目を背けてひた隠し

過去の自分が
そのような想いをしたのは
そこに在った
周囲の誰かのせい。と

歯を食い縛り
生きてゆく
今の自分が今の自分を
調えながら生きる道。

誰もが今、
等しく、忠実に
怠ることなく
努め続ける道。

徳、仁、義を失くし
心を失くし
型ばかりの礼に務めて
なんとか、己の体裁を
保ちながらも

風に吹かれれば飛んでゆき
激流押し寄せれば流される
中身に真(心)無い在り方を
幾ら積んでも流される

徳ある
眩しき者を羨むのではなく

ソコから
その姿勢学び習い、
自らが意志を心を以て
功徳を積ませて頂いて

初めは汚く
浅ましく卑しく 
映ろうとも
そう他者に思われようとも

それは、それまでの
己があり方が背負う罪
それを背負えず投げ出せば

何にもこの世で身に付かず
自愛に包まれるなんて
程遠く、過去の自分から
目を反らし続けては

過去の自分のような
あり方を今している者が
この世のそこに在ることが
鼻につき

そうした存在が
この世に在ることを
今、自分が、
認めることが出来ないのは
何故か、さえも分からない。

嫌なことを投げ出せば
その後、一生
自らを自らが
苛み続けてしまうかもね。

そんな自分のことを
他の誰かが
認めてくれていないように
感じたまま

必死に、今の自分を
認めさせようと動いては
無惨な結果に成ってしまう。

それが何故だか
分からない。

今の自分が
人を人と認めれぬ
人でなしのようなあり方で

他者を
己よりも至らぬ者を
助けることなく

自分の身を削いでやった。と
それで、助けたつもりになっては
踏み台にしているその様に
自ら気付くこと適わずには

自らが認めて貰いたい相手の
心に触れること
寄り添うこともなく

挙げ句
馬鹿にし
甞めて見下し
自分のことを
自分の努力を抱える苦労も
知らないからだ。
 
いつも、媚を売る者ばかりを
贔屓して!と

自らが認めて貰いたい相手を
己自ら愚弄しては
そんな相手に認めて貰おうと
努力していることが
損なことに感じて自らを
腐らせて、

認められるための努力を止めて
あさましさを削げ
マトモになるかと思いきや
我欲に浸り汚れきって
自らを認めぬ者を恨み出す者も居る。

いろんな姿の者が居る。
それぞれが、それぞれに
痛みを苦労を背負い

その努力を認めてくれる者が
地獄のソコに現れれば
その足元に集う。

そんな仏のような顔をした者が
鬼の形相を見せれば
蜘蛛の子散らしたように
影に潜み、忌避しては

なんの功徳を
積もうともしない。
堪えることを知れず
欺瞞、我慢に犯されて

そんな自分自身の境遇を
自ら憐れみ同情しては
独り孤独で心細い
侘しさ寂しさ抱えてしまう。

誰もが、そのような
心細さ、侘しさ、寂しさを
知っている。と言えども

より悲惨な境遇を
知らされねば
同情も出来ず
自分の方が背負う苦労が
大きい。と
つまらぬことを信じ
自らが欺瞞、我慢に溺れている。

自らの身を裂く鬼にだろうと
心を寄せて背負う苦労への
理解を自らが示せることにより

己よりも劣る者にしか
示せぬ優しさ、その恥に罪を
昇華させてゆくのだろう

認められたい欲を
有する、人でなしは
皆、共通して、
今、ソコに在る存在を
認めようとも
理解しようともしていない。

自分はその努力はした。と
投げ出して
認められたい己が欲に
流されて無明の世界に
自ら独り堕ちてゆく。

自業自得
因果応報

その罪に及ぶ
安易さに比較して
その報いはあまりに過酷で
酷すぎる。

その荷を共に
代わりに背負う存在は
いつでも、この世のソコに在る。

だけれども
徳を自ら投げ出せば
再び、それを信じることの
難しさ。

この世界に存在する
自分とは違う存在が
今、ソコに
そのように在ることを
己が認めて

供養を捧げ
その者の幸せ
その者がその今生
その道で
成仏出来ることを
祈れること

それが
過去の己を
己が認め

己の自愛
慈しみをこの世にて
育み養い
今、そこに
そのように在る
己自身をまるっポ救い出す

そのように
この世にて貴方が
成仏、果たせるように

誰かが必ず願っている
応えるか否かは
貴方次第。