王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

アウトプット から
普段口にしないこと
思考、感じ、捉えること


情けは他人のためならず

自分を救うのはいつも
自分が誰かを
思い遣って

発見し
気付けた糸口が

その他人を
救うことが敵わずとも

自分の意志とし
積もってゆく。

自らには
救うことが出来ず
失くした他人と
共に在った過去を
振り返った時に

自業自得
因果応報

自分が
その他人のために
させて貰えていたことが

今、この世の
ソコに一人立つ
今の貴方を救うんだよ。

その他人に対して
やり残したことや
伝えきれていないことが
あったように感じると

人は皆、過去に
後ろ髪を引かれてしまい

今、一人ソコを
生きることも
儘ならず

今の自分に幸せを
与えてやることが
出来なくなってしまうんだよ。

誰もが、一緒
人だから。

人と云う、生き物の
哀しき習性なのだろう。

昔から、我儘な
憤りを他人にぶつけ
自分は怒ってるんだ。と
振る舞う人を見て思う。

それが最期の別れになれば
後悔すること
目に見えているのに
よく、そのような真似が、
出来るなぁ。

きっと、この人は
幸せな人で、
今、ソコに至るまで、

そんな態度をとったまま
その相手を
失くしたことが
無い人なのだろうなぁ。と
感じてしまう。

どのような関係性で
あろうとも
他人に対して

自分は不幸だ。
自分は他人に恵まれず、
不遇な目にばかりに
合っている。

なんで自分ばかりが、
こんな思いをするのだろうか…と
憤りを抱えるまでなら

そうして自分を
慰めて
挫けそうな自分を
憤りソコを懸命に
一人でも、生きてやろうと
活かそうとしている
人間らしさに感じるけれど

そんな憤りを
ソコにいる他人と
今の自分を比較して

傲り欺瞞を膨らませ
今の自分に我慢を
自分が覚えさせ

誰かは楽でいいよな。
自分は…と

ゆっくり
じわじわ
責任転嫁。

自らが己に
不幸と云う暗示をかける

自分は誰かのせいで
今、こんな想いをかかる程
不幸な目に合っているんだ。と

傍若無人に
罵詈雑言を
他人に浴びせれる人を見ると

幸せな人だなあ。と
心から感じてしまう。

そんな幸せ人が
自分の幸せに気付かぬ内に
本当に独り侘しく寂しく
孤独な人に成ってしまえば

残念な人に変わってしまう。

誰のせいでもないのにね
誰かのせいだ。と
思っている内は

今、ソコに在る自分の
幸せに
人は気付くことなど
出来ないまま

ぐるぐると
どのような縁があり
どのような出会いが
あっても
ぐるぐると

今の自分を
自分が不幸に
し続けてしまうのだろう。

残念だけれど

舟幽霊や
亡者のように

今の自分の幸せに
気付ける人に甘えたまま
幸せに成ろうと努力せず
すがり乞い
引き摺りこもうと
しているようにも
見えてくる。

もったいない人がいる
同じ人として
この世に生を受けながら

誰もに具わっていた筈の
自らを幸せにする術を
何故だか無くしてしまう者。

エゴ、傲り

無垢で無邪気な者が
喜ぶ様を前にして

共に喜ぶことが
出来ずに

そんなことくらいで
喜ぶなんて…と

安易、安直
不用意に
自ら道を踏み外す。

他人のためにと
恥を忍んで
尽くすのではなく、

今の自分は
そんなことでは
もう喜べない。と

馬鹿に
しているつもりもなく
今の自分を誇示し
イキるような真似を
繰り返し繰り返し

今、ソコに在る者に
癒やされたことに
感謝することもなくなって

今、ソコに在る
自分を汚してしまう。

傲る自分が
イキる真似をし
自分に暗示をかけてゆく。

自業自得
因果応報に
自ら主観に囚われて

恥を忍んで
他人に尽くす者を
この世に見出すこと敵わずに

鏡に映った自分を前に
甞め見下し軽んじて、
妬み嫉み苛立って

競い争い競り合い
張り合う真似をして

自分は偉く
自分周囲は頼りない
自分は不幸だ恵まれず
苦労ばかりしている。と

そんな自分を
自分がこの世に生み落とす。

今、ソコに在る
誰かや何かに触れては
忠実に愛で慈しみ
癒やし感謝し
今の自分を幸せにすることを

たまに
自分の気分が向いた時にだけ
行うことにして
忠実に務めるべきことを
忘れてしまう。

アリとキリギリスの話を
知っている人さえも
忘れてしまう。

いつもが
有り続けると夢見ている

この一瞬は
今しかないのに

そのような人は
自分の不幸が
いつまでも続くように
感じている。

自分が今の自分に
幸せを与えることが
敵わずに

残念な人になっては
惜しまれて

惜しまれることを
善いことばかりのように
捉えては

自らが過去に囚われ
感傷に浸り
過去に在ったモノへの
想いを遺している、
今の自分を善い人間のように
自ら捉え今の自分を慰みる。

いつか…
この今生で
目が覚めることが敵わずとも
いつか、きっと
いつか、きっと

自らが激流に
流されることなく
貴方一人、

今、ソコに在るモノに
癒され救われ
生かされて
今の自分に幸せを
貴方が与え
この世に踏みとどまることを
叶えたならば

人は皆、その時
誰もが等しく平等に
人と云う生き物の
哀しき習性
恥を知り

その後やっと
人として
自らが意志をもって
この世を歩き出せるのだろう。

塞翁が馬
何が不幸か幸いか

どんな病も
幼い頃に罹かっていれば
治りが早く
その病で命を落とす者も
少ないのだろうけれども

今の自分に
幸せを与えてくれる人は
何処にもいない。

自分が自分に
幸せを与えようと
忠実に努めているから

今、ソコに在る人に
救われて
今の自分を自分が
幸せに出来るんだよ。

残念な人さえも
同じ台詞を
他人にかける。

誠実に親身に
施させて貰える程
自らの心根調える

暗示を自分がかけるように
貴方が紡ぐ言霊が
全て貴方に降り注ぐ

慈愛の雨となり
貴方にとっての
祝詞になるか

妬み嫉み怨み傲慢
貴方にとっての
呪詛になるか

その時々の
ソコでの
自分の在り方次第なんだ。

誰もが等しく平等に
同じ試練を前にして
この世のソコに
存在しているんだね。