愛染恭介のやぶからぼう日記 -25ページ目

木曜稲生座!

相変わらず惚れた腫れたの歌がほとんどない。
たまに自分のレパートリーが窮屈!バカ!
それでも誰かを描いて誰かに伝えたいのは変わらなくて、
もっともっと身体が歌いたくなる曲が増えてきたよ。
原動は畜生!とか、いとしい気持ちなんだがな。

そこんとこいくと、今度ご一緒するおちょこ(国分寺エクスペリエンス)
は身体ごと歌を作っているとしか思えない。
女だったりお母さんだったり生活者であり戦士だったり動物だったりする。
まったく頭が下がります、その説得力と言ったら!
最近は言葉でない浮遊しているものも発しているから宇宙人です。

さてそんな宇宙人おちょことのライブはこんどの木曜!

4/26(木)高円寺「稲生座」
20時スタート
¥1500+1ドリンク





尋ねて!

何でも人に尋ねるのは得な性格だと、
なかなか容易に人にものを尋ねられない自分は思うのだけれど、
しかしながら、ちょっとみんな尋ねすぎなんじゃねーの?というくらい、
最近は店に電話が頻繁にかかってくるようになりました。
「今から3人座れますか?」「予約できますか?」というのは分かりますが、
(いや、うちの店を知っている方ならありえませんが)
「今、ネットで調べてそちらに電話してるんだけど、ナニソレ系列の店?」
と、ネットサーフィンの合間に電話されると、さすがに戦場である我が厨房とパソコンに
向かわれている方の時間の流れの大きな歪みに愕然とするのです。
行き当たりばったりで得したり損したりする醍醐味と時間の無駄遣いこそが
人生の贅沢なんですよ!あなた、パソコンを捨てて街へ出よ。
今日は、たまたま交番の前に数分滞在したのですが、
交番もまるでサロンのようににぎわっていました。
世間話をしに来た近所の女性、交番のすぐ裏手に本屋があるのに本屋を尋ねる人、
中央線駅前なのに新宿行きのバスを尋ねる人、わたしもそんな風になりたい!
みんな、はなしをしたがっている。
見知らぬ人に喧嘩を売っている人も、クレーマーも、ナンパ師も、一般人には見えない相手に
話かけている人も、どこかに落ち着こうとしているだけです。
だから、怒りませんとも、ええ、ちょっとコミュニケーションが歪なだけですから。
ことしは桜が美しすぎたから、そわそわしているんだと思います。
近所の公園の植え込み道端が桜吹雪で泣きはらした顔をしています。

さて4月はこれです!
4/26日木曜日、高円寺「稲生座」でライブ!

おちょこが誘ってくれました!
国分寺エクスペリエンスのヴォーカル、おちょこソロとのツーマン。
次から次へと新しい表現に果敢に取り組むおちょこは今歌うことを
誰よりも本気で楽しんでいるように見えます。
何時からなの?おいくら?どこなの?
詳細を、是非!尋ねておくんなまし!

正義不在。

人生にアクシデントはつきものである。
でも、自分から大ビンタを喰らいにいくときもありんす。
大ビンタ?頭突き?大抱擁?
中村正義展、練馬区立美術館。
中村正義を見に行くのは2回目だけれど、前回を凌駕する作品数、
そしてその数に見合うほどの振れ幅、表現力、明暗、静と動、原色と淡色、抱擁と殴打、無と在、欲と死、
美と醜、怒りと祈り、絶望と歓喜、自我と無我、外側と内側、放出と内包、光源と黒闇、拘束と解放、
豪気と戯れ・・・の間をジェットコースターのように揺さぶられますだ。

日本画の新星として、華麗なるデビューを果たした中村正義。
自らを破壊と構築を繰り返して、変貌していった作品の軌跡をたどっていくと、
作品の枠を飛び越えて、中村正義が目の前に現われてくる。
まったく狂気ではなく正気であったことが感じられる。
ジョン・レノンの声をずーと聞いていると、友達のような錯覚に囚われるように、
ぼくは中村正義に抱きつきたくなった。

作品はどれも妖気を放っているけれど、
暗部に引き込むネガではなく、突き抜けようとする生きる欲望を感じて、
清清しいほどのかっこよさでしびれるのです。
誰もが、こんな風に生きたい、と願って叶わないもの、だと思います。

愛染、出直してきます。

タイトルは、中村正義、書の作品から。