ガンダムSEED&DESTINIYスペシャルエディション視聴 | 音村真のブログ

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ここしばらくガンダムSEED&DESTINIYのスペシャルエディションを観ていました。
昔DVDを全巻持っていたので観ているはずなのですが「DESTINIYのスペシャルエディションってこんなのだったっけ??」みたいになっていました。

ただ、やっぱりSEEDシリーズは今の時代、観るべき作品だと感じましたね。


映画公開のこともあり、意味深な関氏の関与もありと、ただでさえ今の時代、この時代だからこそ観る価値があると感じていたこともあって観ていたのですが、やっぱりいいですよ。SEEDシリーズ。


僕は「一番好きなガンダムシリーズは?」と聞かれたら、ずっと迷わずに「SEED」と答えていました。

そのくらいDVDも何度も観ましたし、観るたびに涙腺崩壊していました。


ただ年月が経つに従って、別のアニメも観ているなかで、徐々に観なくなっていったんですよね。

そしてガンダムUCの登場とともに、「一番好きなガンダムシリーズは?」と聞かれたら「UC]と答える機会が増えていました。

そのくらいUCも好きな作品だったんですよね。

 

それからは最近まで「好きなガンダムシリーズは?」と聞かれると「SEEDか、UCか、W」と答えていました。

自分ランキングをつけるときは、1位はUCにすることが多かったです。SEEDとWはその時々で違ったり。

 

ただ今回久しぶりにSEEDシリーズのスペシャルエディションを観て「やっぱり一番はSEEDシリーズだな…」となりました。

 

 

今回の映画の評判は良いようですね。

基本的にはお祭り映画みたいなもので、全キャラに見どころが用意されているとかなんとか。

 

 

 

で、ですね。

ちょっとアマプラの評価を確認してみたのですが、DESTINIYの評価を見直している人が多い印象があるようにかんじました。

あきらかに当時より評価は高くなっています。

 

 

昔はかなり叩かれていたんですよ。特にDESTINIY。

僕は当時から無印はもとよりDESTINIYも高評価していましたけど、やっぱり当時はDESTINIYの批判は多くて、その要因は「ファーストのパクり」みたいなところから、おそらくファースト信者の嫌がらせだったんじゃないかなぁ…とも思ったりしました。

 

なんだったら当時は無印ですら結構叩いている人多かったと記憶しています。

まあファースト信者って「どうあってもファースト以外は認めない」と言われていたので、SEEDもその例外ではなかったんですよね。

特にファースト信者って、ほかのガンダムの粗探しというか、ツッコめる個所を探すのが生きがい…みたいになっていたように思うので、DESTINIYは格好の的だったように思います。

確かに「ファーストのパクり」と言われたら「オマージュだから」とか「リスペクトだから」としか言いようがないのですが、批判する人が「それをパクりなんだ!」って言ったらどうしようもないパターンですからね。

 

 

で、あとはよく見た批判が「キラとかラクスの思想が気持ち悪い」っていう言い分ですかね。

キラとかラクス側を偽善ととらえる人も多かったように思います。

いわゆるコクピットを攻撃する=敵も殺さないって表現とかも含めてですかね??

 

ただ個人的には、この部分には特に思うところがあるんですよ。

まさに今の時代における世界の行く末を考えるうえで、結構大切な考え方な気はしています、このキラ的思想。

 

 

そして特にDESTINIYが叩かれていたというか、弄られていた理由として「主人公は誰??」っていうツッコみをする人が多かったんですよね。

つまり「シンは主人公じゃない」とか「あまりにもひど過ぎて、後半は主人公をキラに乗っ取られた」とかね。

たしかに後半は、キラとアスランとシンが大きく扱われていますが、特にOPではシンではなくキラが真ん中にいることから、キラに主人公を奪われた説も正しいのでしょう。

 

 

その主な思考回路の例みたいなのが、アマプラのレビューにあったので引用してみます。

ニコ動で無印が無料で見れていてやっぱり無印は面白かったのでその勢いで 駄作とわかりつつも再び二作目も見に来てしまいました。 リマスター版自体を見るのは初めてなんですが、 TV放送版では当初はシンとアスランのダブル主人公という感じで話が進み 30話を過ぎたあたりからキラにすべてをかっさらわれる感じでしたが、 本作は開始直後からすでにシンに主人公感はありません。 総集編っぽいつくりと最初気づかず、シンの視点が全く描かれなくて あれ?こんな感じだったっけ?と戸惑いましたが全4話ということで納得。 最初からルナマリアも含め追加メンバーを脇役にして、 あくまで主役はキラ(とアスラン)ということで進めたいのならまぁこんな感じですか。

 

このレビューは星3で、まあアンチってわけでもないので、ファースト信者ってわけでもないと思います。

単純に、冷静に自分の価値観で、このくらいの評価って感じなんですかね。

 

 

観ればわかるとおり「TV放映版は当初、シンとアスランのダブル主人公という感じで話が進み、30話あたりからキラにすべてをかっさらわれる感じだった」と書かれていますが、こういう価値観の人は多いでしょうね。

普通に「強くてカッコよくて活躍するのが主人公」っていう価値観の人は多いですから。

 

また実際に後半のOPではキラが真ん中に描かれるようになったことも事実で、作り手側も売れてなんぼでしょうから、視聴者が理解できないようなメッセージ性だけで作品なんて作れないと思うので、無難にかっこよくて強いフリーダム、そのパイロットである完璧人間キラを主人公っぽく描く…というのは、表面的な表現ではそうだったと思いますね。

 

でも今回観てみて、やっぱりスタッフというか、物語考えた人は「シンを主人公にしたかったし、そのつもりで作ったんだろ??」と感じましたね。

僕の価値観では、DESTINIYの主人公は最初から最後までシンでした。

 

まあ物語を通して成長していく話って多いのですが、シンの場合はかなり特殊で成長じゃなくて「気づくまでの物語」ですよね。

成長ともいえるのかもしれませんけど、間違った正義を振りかざしていることから何から、自分が正しいって思いこんで、そのうえでアスランに「あんたに何がわかるんだ!」「何も知らないくせに!」ってめっちゃ怒っていましたからね。

 

「良くも悪くも人間的」っていう意味で、当時もそういうところ気づいている人は一定数いて、そういう人は当時からDESTINIYの評価はかなり高めだったと思っています。

今回アマプラでDESTINIYの評価がそこそこ高いのは、いろいろと当時よりも人々の価値観が変わってきているのかなぁ…とも感じますし、ただ単に時間とともにアンチに飽きただけって人の低評価が減っただけかもしれませんし、よくわかりませんが。

 

 

ただDESTINIYのスペシャルエディション、今回視聴して少しまとめかたがわかりづらかった気がしたんですよね。

SEED無印のほうがきれいにまとまっていたような…。

 

それでもエンディングのキラの言葉とともに流れ出す「君は僕に似ている」の入り方が秀逸。そしてDESTINIYの冒頭で一度キラと出会っているシーンをはじめシンの過去が映し出されて、シンが涙を流すシーンでこちらも泣くっていう。

 

 

無印から「いったい何と戦わなきゃいけなかったのか」って、ずっとキラもアスランも言っていて、アスランはDESTINIYの序盤で、その答えはまだ見つかっていないって言っていました。

 

途中途中、少なくとも『戦う意味』として、国や軍の命令に従って戦うことも、名誉や勲章が目的で戦うことも、それは平和ではなくて上っ面だけの正義だということは、ぼんやりわかっていたことですよね。

無印でラクスが「だったら私を殺しますか? ザフトのアスランザラ」と言ったやりとりがすべてでしょう。

 

「キラたちも結局は戦ってるじゃないか」って思う人もいるんじゃないかと思いますけど、軍の命令に従って戦うのとは違いますよね。

 

軍の命令で戦うってのは、きっかけは「国を守りたい」という想いからだとしても、自分の意志に反する戦いにおいても命令に背くことはできないわけで、アスランとキラが争うことになっていた理由もそこにあるんだと思います。

ザフトの命令でキラと戦わないといけないって話になったら、アスランはキラと戦いたくなくても戦うことになるわけですからね。

殺せと命令されたら殺す。それが平和につながるのかと…それが無印からのSEEDのテーマですよね、たぶん。

 

 

キラは「ラクスをはじめ、アスランや救いたい人たちと、その未来を守りたいから、もしそこに危険をもたらすものが出現すればそれと戦う」っていう価値観で戦っているってことを、わかっている人のほうが多いと思いますけど、気づかずに上っ面だけで観ている人たちは知るべきなんですよ。(これを気づかない人たちがキラを偽善って言っているんじゃないかと僕は思っています)

たとえば国を守ることで、親しい人たちを守れるなら国を守ろうとしますけど、国を守るために軍に所属して軍の命令で「敵対する国を敵として攻撃」した先に何があるかっていえば、報復とかそういうのもあるんじゃないかと思うんですよね。
 
無印でカガリが言った「殺したから殺されて、殺されたから殺して、それで最後は本当に平和になるのかよ!」ってセリフ。
 

結局、自分の親しい人たちを守るために、国家の争いに力を貸して、相手国の復讐心のもとになるような攻撃を仕掛けた時点で、いつか報復として国が攻撃される可能性が発生するわけですよね。そんなことをすれば親しい人がいる国が危険に巻き込まれるわけで、やっぱり国家の争いごとに支配されている軍の価値観で戦う相手を決めさせられるのが間違っているということでしょう。

 

別に恨みも何もない相手と戦う=殺すってことを、国家の都合でやらされている軍。

そこの部分は無印からはっきりしているところなんじゃないかと思います。

キラは守るべき戦いがなければ、無駄に戦おうとしないので、戦うときってのは何か守るものがあるって部分の違いでしょう。

 

 

今回はデュランダルとかいうかつてないほどのサイコパスが登場することで、いかに軍や国の命令が危険か思い知らされる作品となったのではないかと思います。

 

ヤバいですよね…デュランダル。

たぶん自分では、自分が傲慢だと気付いてない…。だからキラに「傲慢だね」とか言っていましたけど、作中で頻繁に「なんでこんなことになるのかわからない」「こちらはもう戦いたくないのに、向こうが戦う姿勢をやめないから仕方ない」など、完全に自分の理想的な社会を、世界全体に押し付ける思考回路…。まさに現実世界におけるダボっている人たちの思想。真顔

 

争いのない世界、平和な世界を望むあまり、他人というか、自分以外の人々の尊厳をすべて奪い取ろうとする思想…ヤバすぎです。そして自分ではそれに気づいていないというか、マジでそれで自分はいいことをしているつもりでやっているから、サイコパスなんですよね…。

 

確かに死の商人ロゴスっていう現実世界でいうところの軍産複合体という名の戦争屋と同じく、世界で戦争をわざと引き起こして、人々に争いをさせて儲けているっていう構図を作り上げている点を悪としてとらえ、そこが戦争の根源だと主張するのは正直間違っていないとも思うんですけど…。

それって現実世界でも「日本はお米の国に支配されている!」から「裏に軍産複合体がいて、お米の国が操られている! 」「口とウの戦争も、イとハの戦争も、すべて元凶は戦争を生み出してカネ稼ぎしている連中!」ってのは実際に間違えていないし、多くの人が知るべきことではありますけど、SEEDシリーズを観て思うのは単に「やつらが悪だ」とするのも違うのかもしれませんし、それっていうのは僕の感覚では、たとえばさまざまな裏の陰謀を知っている人たちが応援するトランプ氏。

 

そもそもの世界征服を企んでいる人たちはグ口一バリストと呼ばれ、自分たちの理想とするルール化での世界統一を目指すわけですけど、そのルールというのは自分たちに甘く他人に厳しい社会。大勢多数の人々から自由と尊厳を奪い、これまで以上に奴隷化させようという危険思想。

だからトランプ氏たち反対勢力がナショナリストと呼ばれて、目覚めた人たちの間では「自国ファーストこそ正義だ」と最近はなっているわけですよね。

 

 

でも思うのは、ナショナリズムという概念を優先させて、すべての国が完全に自国ファーストとなったとき、そこに貿易が発生すればやはり国家同士の思想の違いで戦争に発展しかねないというか、逆に自国ファーストってのは極端になりすぎると、自分の国以外のことを考えない=他国の人間を殺しまくってでも自国を守るっていう思想になりかねないのは、危険なんじゃないかと思ったんですよ。

 

ただ、たしかに今のイカれたグ口ーバル思想に世界が支配されたら、完全なディストピアが訪れるのはアホでもわかることで、阻止しなければならないのはわかるんですよね。

だけどトランプ氏を筆頭にナショナリズムに火がついて、各国が他国を認め合わなくなってしまったら、場合によっては国家間の戦争…いわゆる上記で書いたSEEDのキラみたいな「守りたいから戦う」ではなく、国や軍として「国家を守るために」っていう隠れ蓑の裏側に「憎き敵国を国民に殺させるために駒として戦わせる」っていう思惑を感じてしまうんですよ。

 

これがSEEDシリーズを通して「何と戦わなければならないのか」という問いの答えなんじゃないかと思います。

 

国や軍ってのは自分の正義があれば協力するのは良いのだと思いますが、自分の正義がない戦いに自分の意志とは関係なく介入させられる命令ってのが、そもそもの問題なのでしょう。

 

とはいえ…

SEEDの世界はアニメであり、キラというスーパースターがいることで理想論が成り立っている世界でもありますが、現実世界でこの歪んだ権力やら争いから世界を守る手段とか方法っていうのはあるんでしょうかね…?

 

 

 

話がSEEDから脱線しましたけども…。

 

シンっていうのは、弱い自分。間違いを犯す自分。そしてそれに気づかない自分。独り善がりの自分。

結局のところ人間ってのを思いっきり表現しているっていう意味で、僕は好きでした。

 

意外と冷静に戦況や状況を把握して、相手の立場にも立って意見しているアスランに対して、「何もわかってない」とか「何も知らないくせに」とか、逆に言えば自分こそなんでも知っているかのような言動ってのは、まさに不完全な主人公というか、物語の主人公とは思えない人間性で個人的に嫌いではなかったという意味。

 

まあ、そのまま何も理解できずに、最後まで周りの人々を巻き込み続けるようなら、魅力はなかったかもしれませんが、レイに翻弄され続け、迷いながらも間違いを犯しまくっていく不器用な性格とか、最後の最後でようやく何かを理解して、なんていうんですかね…復讐心から解き放たれたっていうのかな。その最後の涙がよかったんですよ、シン。

 

 

まあ僕の中では、DESTINIYの主人公はやっぱりシンですね。

ただ、やっぱりエンタメとして、テレビで視聴率を狙ったアニメの主人公はかっこよくて強くなければだめなので、失格なのはそうなのかもしれません。真顔

 

 

今の時代。まさに見るべき作品だと思いますよ。SEEDシリーズ。

これから2025年にかけて、世界の行く末において何が必要なのか。そういうのを見極めるためにも、今の世界情勢と比較して観ることを個人的にはおすすめしたいです。