コ口ナの価値観について解説 | 音村真のブログ

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今回、コ口ナについて解説してみようと思います。

ちなみに現在僕はコ口ナ茶番派側に属している人間です。

 

 

下記、ちょっとお手本のようなツイートがあったので引用させてもらいました。

 

 

数か月前まで僕もコ口ナ警戒派の人間だったので、気持ちはよくわかります。

はっきり言ってしまうと、思考能力的には問題ない考え方ではあると、今でも思っています。

 

 

コ口ナ警戒派ってのは、とてつもなく臆病、そして石橋たたいて渡るタイプの慎重派だということ。

 

 

初期のころは、ただ空気に流されているだけの人たちも警戒側に混じっていたので、表面的にはコ口ナにおびえている人のほうが多く見えました。

 

しかし実は2:6:2の法則に当てはめたとき、8割はおびえていましたが、そのうちの2割は逆に考えすぎてコ口ナを軽視できない人間なんですよ。その人たちはいまだに怖がっているはずです。

僕も数か月前の出来事がなければ、そっち側の人間だったように感じますね。

この2割の人たちは思考停止でもなんでもなく、むしろ考えすぎた結果の警戒なので、ある意味で軽視している人たちより理性的で正しいです。

 

 

ですが、今の世界の支配構造、コ口ナの陰謀などを知ったとき「そのままでいいのか?」という疑念が出てくるわけですよ。

 

 

6割の人は、周りの人たちの行動や世間の空気に合わせて自分も動いているだけなので、周りの人間が警戒気味になったり、空気が警戒思考に寄れば自分たちも警戒するし、世間がコ口ナ茶番っていう空気になれば、それもまたマネしてコ口ナ茶番ってなるんですよ。

残念ながら、そういう人がほとんどなので、こればかりはどうしようもないと思います。

 

 

そして逆に最初からコ口ナ茶番っていう考えだった人ってのは、僕から言わせてもらえばただのサイコパスでしかないと思いますがね。真顔

ただコ口ナ発生から4年。おそらくほとんど知識はない人でも、年齢によっては「もう恐れるに足らない」と考える人もいると思うし、この4年でコ口ナの陰謀、あるいは計画など、注射という悪意を知ってしまった人にとっては「コ口ナを意識しすぎて、みんなでビビッてマスクなんてしてると、仕掛けている側が調子に乗っていつまでも終わらないから、もう開き直ろうぜ」みたいな感覚の人は多いんじゃないでしょうかね??

 

 

または4年間で、たとえば「症状の原因はウイルスでも注射でもなく、電磁波だ!」と言い切っている人もいたり、そういうさまざまな考え方が発生しているので、そういう意味でいろいろなベクトルから、コ口ナ茶番の思考は増えているんだと思います。

 

 

でも、僕から言わせてもらうと、おそらく一番思考が深く、調査能力がある人は、現在でも警戒派のほうにいるんじゃないかな…と思いますね。

なぜなら、発生から4年。初期からずっと懸念されていた血栓についての謎も解決策も解明しておらず、人エか自然かの発生源についても未解明。そのうえで初期から不気味な挙動を示していました。もっとも僕が警戒していたのは工イズですね。

そのあたり何もわかってないんですよ、実は。

 

 

茶番派側ってのは、最初期からの人間であれば何も考えていない怖いもの知らずか、ただのサイコパス。

徐々に生活に不満が出てきたり、警戒することにつかれた人たちが、少しずつ開き直って茶番派にまわっていきました。

その中でも、そういう時間の流れの中で、たしかに生活の不便に対する不満などもありながら、人間らしく生きるという意味において、開き直るのとは別の意味で、「やっぱりこんなのおかしい」って感じた人が、茶番派として増えてきていることがでかいんですかね。

それはそれで、人間的な思想では素晴らしいと思いますが、やはり根源的な意味で「コ口ナが人エなのか自然なのか」という期限がわからない以上、最悪のパターン(たとえば兵器的な意味で作って、漏れてしまって手が付けられなくなってしまったとか)を考えると、本当は現時点で警戒している人間が正解ともいえるんですよ。

これは理性的にですね。

 

 

ただし、それは世界が性善説で動いていたらであれば…ということを僕は思い知ったわけです。

 

この世界は性善説に基づいて成り立っていません。少なくとも今は。

裏側にジョソレノソが言っていた”狂人”がいて、彼らに支配されているという構造を知ったとき、「コ口ナがいかにリスクの可能性があろうが、怖がるということは彼らの思惑に引っかかっていることになる」ということになるわけです。

 

そう考えたとき、楯突くのであれば、やはりマスクをつけていたら彼らの思うツボですし、コ口ナを怖がっていたら同じく思うツボだと思うんですよ。

 

 

それでも、警戒心高い人は「そうは言っても安全が確保されてねぇじゃん」ってなるわけですよね。

僕もわかります。

 

しかし、それでも今はもう開き直るしかないのだと、僕は思っています。

 

 

ちなみに僕が吹っ切った理由の一つに「マスクにも、例のグラヘソが仕込まれている」という噂があります。

これ知ったとき「マスクつけるのも命がけやないか!」ってなったのを覚えているんですよね…。

コ口ナにも感染したくないし、シェディソグも嫌なので、マスクは必須だと思っていたのですが、そのマスクでグラヘソを取り込まれたら元も子もないやん…みたいな。

 

で、極めつけはコ口ナなんていう小事に比べたら、ちょっと世界の陰謀のスケールがでかすぎてですね…。

世界征服を企んでいる人たちが仕掛けている攻撃もさることながら、多くの国民が知らないうちに水面下でコソコソと進められている計画がヤバすぎてですね。それどころじゃないというのが二つ目。

 

 

そしてもうひとつあったんですよ。

それはこの世界は僕らの知らない未知であふれているということです。

それは自然の摂理、神の領域、あるいは科学かもしれませんけど、今、この瞬間の時代に、僕らが現代科学で再現できるものとできないものを常識的に判断したとき、絶対に不可能とほとんどの人が言うであろう現象を僕は目撃しました。

 

そのあたりに身体に多少なりともの異変も起きて、超常現象みたいなのも大小少し体験することになり、その過程で一度死にかけましたし、死よりも恐ろしい恐怖を感じたことがあったんですよ。

その瞬間、思ったのは「コ口ナごときどうでもいい」ってことでした。真顔

 

 

つまりそういうことです。

人は生への執着、あるいは死への恐怖を感じると、必死に生き残るためにあらゆる手段を考えます。これが警戒派があれこれ考えまくったうえで警戒しているものの正体です。

 

逆に、生への執着も彼らほどではなく、死への恐怖もそこまでない人たち。

もちろんまだ死にたくないって人のほうが多いと思いますし、もっといろいろやりたいこともあるって人のほうが多いと思いますが、それでも警戒派と比べたら「人生運が悪けりゃ死ぬし、それまでだよね」くらいの感じで、執着が弱い人。これがおそらく現時点で茶番派側になっている感じだと思います。

 

 

同時に、そこに人口削減という暴挙だったり、世界を恐怖で支配し、自分の思想で人類が動くように統一するという世界征服をもくろむ人たちですね。そんなん知ったら「コ口ナを怖がっている場合じゃねぇ!」ともなるんですよね。

 

 

コ口ナを怖がる行為ってのは、この世界統一支配、世界征服を思うように進ませてしまうだけでしかないので、僕らはそれにあらがいたいのであれば、感染の脅威にさらされようがコ口ナを無視するしかないんですよ。

 
 
ってことだと思っています。