れいわ、くしぶち氏の核に対する考え方について考える | 音村真のブログ

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れいわくしぶち氏、核兵器のない世界へ。

 

ということで、れいわ支持だったころ好きだったくしぶち氏。

彼女が懲罰くらって壇上で注意されながらした演説がめっちゃカッコよかったんですよ。

 

この動画の中で「核抑止力について賛成する人たちに対して『それは正当化できないよ』みたいなときのディベートワークショップのようなものもあって面白かったです」と語っていて、「そのディベートが面白かったのは各国どこでも『いや核抑止力が正当化できないとか、そんなこと言ったって核兵器持ってる国が目の前にいたら防御するのは私たちも持たなきゃ』という議論になるよねっていうのがどこも共通しているんですよ」と。

 

これ、僕も元バンド仲間の人と、まったく同じ話をしたことあります。

僕たちは政治家でも何でもないし、発言力や影響力のある人間でもない、ただの力のない一市民の一人ですので、僕らがアホみたいにアツく語り合ったところで世界に影響することなんて1ミリもないんですよ。それでも誰にも届くことのない場所で、そういう議論を二人でしたことはあります。

 

 

僕は、くしぶち氏と同じ意見、立場。

くしぶち氏は動画内で言っています。「核兵器vs核兵器、武力vs武力、これで本当に平和は作れますかということを本気で考えないと私は(東アジアも)引き下がれない状態になりかねないと思います。やっぱり核抑止力っていうのは、核の脅威によって相手を恐怖に陥れて屈服させるっていう手法ですから、相手も同じことを考えるわけですよね」と。

 

僕も元バンド仲間の友人と、この議論をしたとき、まったく同じ主張を叩きつけました。

 

でも友人は逆なんですよ。
「そうは言っても、中も米も露も北も核もってんだせ? 攻め込まれたらどうすんのよ?」と。
 
僕は「それでも持つべきでない」と主張しましたけど、結局は友人も引くことなく、平行線のまま終わりました。
何日か会うたびに、その話を蒸し返すこともありましたけど、結局どちらも考えを譲ることなく。
 
まあ、それが個人個人の価値観の違いってやつですよ。
 
 
 
僕は、たとえ日本を守るために核武装したとして、万が一どこかが攻めてきたときに、その核で相手を虐殺して勝利を収めても、そんな勝利には何の価値もないと思っています。
その核戦争で人間だけではなく、動物も、地球の大気も自然も、地球自体もダメージを受けますし、惑星そのものに対して取り返しのつかないことをしていることに気付くべきだと思うんですよね。
 
取り返しのつかないことといえば、福島の汚染水放出も同様ですよ。世間はテレビという洗脳装置のプロパガンダにまんまとハマり「汚染水とか言って風評被害を垂れ流すとは何事だー!」とか言っていますけど、そんな口論する必要もなく、まずは一度止めればいいだけの話なんです。
いったん止めて、僕らのような国そのものに疑心をもった人間が納得するくらいのデータを提示してから再開すればいいだけなんですよ。
 
仮に止めなかった場合、実際に国やテレビが主張しているように何の問題も起きないかもしれませんが、起きた場合は手遅れになります。
一方で止めた場合は、仮にテレビや国の主張が正しくて止める必要がなかったとしても「無意味だった」と、そのときに僕らを批判すれば済むだけの話で、何かあった場合は回避できます。
正直あの汚染水の放出自体、のちの人類にとっての黒歴史になる可能性になってしまうのではないかと、今でも思っています。
 
 
話がそれましたので核の話に戻りますけども、僕は友人の主張もわかるんですよ。だから喧嘩していたわけじゃないのです。
たしかに核を持っていない状態であれば、一方的にやられて終わりの可能性もあるでしょう。
 
ですが日本が常に中立的で平和で正しい立場でいれば、絶対に相手側に攻撃する大義名分を与えることなどないんです。だから仮に日本をどこかの国が一方的に攻撃してくれば、ほかの国に批判されるのは間違いないと思いますので、正常な思考なら正しくしていれば絶対に攻撃されるなんてこと自体あり得ないと思うんですよね。
(これは現状のお米の国との関係、圧力とは別の話です。あれは戦後のさまざまな要因から、弱みを握られる状態になったことが原因なので)
あるいはほかの国はすべて核保有国に脅されて何もできないのであれば、もはや人類など滅亡したほうがいいんですよ。
 
 
それにくしぶち氏も言っているように、防衛のためとはいえ核を持つということは、自分たちにすれば防衛のつもりかもしれませんが、自国以外のすべての国から見たら驚異の対象でしかなくなるわけです。
核さえ持っていなければ攻撃対象にされることはなかったかもしれないのに、核を持ったことで攻撃されて被害が出て、しかも地球も汚染され本末転倒、なにもいいことないでしょって話なんですよ。
 
もちろん、正しいことを主張し続けて常に中立で正しくいたとしても、どこかの国が狂って攻撃してくることがないとは断言できませんけど、だからといってこちらも核で攻撃し返す意味がないということだと思うんですね。
敵は攻撃してくる国の国民ではなく、そういうイカれた判断を下す政府中枢の発言者ひとりだと認識すべきなんですよ。「核を撃て」って命令した一人だけを全世界の人類で糾弾すれば済むことです。
攻撃されたからって、そこの国の国民を殺すために、やり返しに行くっていう思考も終わってますし、攻撃されないように核を持ってすべての国を脅してひれ伏させるとかも同様です。
 
どこかが最初に核を手放さなければならない状況で、あらたに核を持つとか、僕からしたら「イカれているのか?」としか思えないわけですよ。
 
 
核で日本のなにを守りたいのか。国土なのか、国民なのか。
戦争において勝者がルールを決めれるみたいな話もよくありますが、仕掛けなければ戦争も何もないと思いますし、戦うならせめて被害が最小に収まる方法で戦うべきだと思うんですよ、日本は。
 
 
っていうことをバンド仲間と討論したことがあるのですが、向こうは向こうで引き下がれない何かを持っているそうで、「絶対に持つべきだ」という意思は変わりませんでした。
 
多分、友人も戦争がしたいわけじゃないんですよ。
ただ「核保有という抑止力で日本を守るべき」と思っているんだと思います。
 
ですが僕は、くしぶち氏も言っているように核保有というのは相手に恐怖を与えて黙らせるっていう卑劣で醜い手段だと思うわけです。
そんな愛も何もない思考回路では、仮に相手の攻撃をけん制で来たところで、平和なんて訪れるわけないって話ですし、結局は核でお互いをけん制しあいながら、これまでどおり上っ面だけの付き合いで騙しあって罵り合って、どこかで戦争に発展するのが関の山でしょって思うんですよ。何の価値もないですよ、そんな抑止力で守られてる国なんかに。
 

 

もともと僕が参政党ではなく、れいわ支持だったのは、当時の参政党が核武装を推していたからです。

今は核武装については少し引いて考えているようなので、パンDE条約を阻止するために参政党側につこうと考えているのが今ってことですね。

 

 

 

まあ、れいわも裏がないのであれば期待できる政党だと思いますけど、国家や政治に対しての調査能力はすさまじいのに、なぜか陰謀に対してはペラペラなので、今はやはり参政党を優先しようかなと思う次第です。