28・10・2

 昔は趣味は何かなどよく書かされたものだが、およそ何でも手をだしたがる私は、趣味読書、清元、ゴルフなどと書くことにしていた。読書など趣味の中に入らないと友人に笑われたことがあったし、そうだなと思ったので、今では書かないようにしている。

 しかし、確かに学生の頃から本を読むのは好きで、外で時間があると、つい本屋の前に立って、目に入った本を二三冊買ったものである。そのうちに読む積りの本が段々ホコリを浴びて溜まるようになる。それでも読みたいと思ったら買っている。

 しかし、考えてみなくても余命を思うと、そうして買った本のあらかたは読めないことは明らかなので、さて、それらの本を又売るか、どこかに寄贈することを考えている。

 しかし、この頃はとくに本を受けとってくれる所が減って来て。なかには、ある公共図書館などからは、二十五年も経ったら、売るか、捨てるかすると、いう耳を疑うような回答があった。

 ところで、私自身、読みたい本はまだ色々ある。今まで読んだ本は片よっている。好きな作家のものは、あらかた全部読んでいるし、有名な本でも全然読まなかったものもある。

 そこで、これからは、本を余程読みたいと思ったもの以外は一切買はないこと、持っている本の中で之はというものを、洋の東西を問はずに読むことにしている。それでも、在庫は減らない。

 昔から表紙だけは、カッチリと覚えている本は読んでみると、やはりいい。例えば、この間はドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ。厚い本であるが、つい、一寸の暇にでも開けて読んで、何でもっと早く読まなかったのか、と後悔した。

 川端康成の小説をよく読む。「化粧と口笛」は十ぺんは読んだろう。そのたびに。若かった頃には、よく理解していなかったことの意味がわかるようなところがある。本も読むにも年令があると思った。

 そして、これからは、本は必ず読み通すことはない。面白くないと思ったら、そこで止めるという、勝手な読み方がいい、と思うことにした。余命を思うと、そういう勝手な読み方も必要か、と思っている。呵々

      28・9・29

 酒は二十才からということになっているが、戦前われわれは高等学校(旧制)に入学したら、当然のように酒を始めたものである。

 ビアホール、バー(と言っても一杯一〇銭のいわゆるテンセン・スタンドなど)、おでん屋、すし屋などなど。

 銀座でも一円ダマを持っていれば飲めたものである。

 当時学校は駒場にあった。歩いて渋谷に出て、食傷新道、百軒店と毎晩のように出撃していた。

 百軒店などは地ゴロが占領していたが、当時学生も元気が良くて、乱闘騒ぎなどをもして、何人かのけが人も出したが、安心して飲める場所となった。

 渋谷で飲んで、歸りも歩いて、寮歌高呤、近所の人はうるさかっただろうが、あゝ又かと言うように大目で許してくれていた。

 家庭教師のアルバイトをやって、家からの送金の他に月二〇円ぐらいを稼いでいたが、あら方、酒で消えていた。本も買った。

 良き時代であった、のかもしれない。

      28・9・17

 ついこの間、某大新聞の」社長と偶然会って短い四方山話をしたが、彼は、新聞の販売部数が減っていること、とくに広告収入が激減していることを嘆いていた。前々から噂は聞いていたが、そんなに酷いとは思わなかった。このまゝ進んでいったら新聞の経営が大へんになると言う。いくらか誇張はあるにしても、満更うそではないと思った。

 私は、地元でCATVの会長をしているが、この世界も一時加入者が増えて喜んでいた状態から変りつつある。

 通信、放送などの分野での、大袈裟に言えば革命的な変化が進みつつあるように思う。

 技術に弱いわれわれの頭では充分理解し難いとところはあるにしても、およその風向きはわからないでもない。

 私は、昔から新聞をできるだけ沢山とって見出しだけでも見るようにしている。中央紙、地方紙合わせて、八社の新聞を今でもとっている。

 読むのに追われて、二、三日経つと新聞の山ができて、きて、うんざりし、TVのニュースを見る方が、早く、わかり易くていい、と思ったりするが、各紙それぞれの偏りはあるにしても記事の差に興味がなくもないので、一応全紙の見出しぐらいは見ることにしている、世界の動きをかい間見る思いからである。

 ニュースは真実を伝えて欲しいが、そのとらえ方が先ず問題である。それでも、それぞれの特徴は見られなくもない。それでどうしたといわれれば、それまでであるが、知ることが頭の体操の一つぐらい、に思っている。

 新聞はできるだけ、真実、ないし真実と思えるところを伝えて欲しい。各紙にとらえ方に差があって結構、時々異見があってもいい。眼を開かれることもある。

 この激動の世界の動きを知るだけでも、長く生きて来た甲斐がある、ような気もする。こういう読者もいることを忘れないでいて欲しいと思う。