近頃新聞は書き立てている。反対ではない。しかし、問題があり過ぎる。

第一、労働が同一であるとか、ないとかを、誰が認識をするのか。かりに出来たとしても、どうやって規制をするのか。

 私は、自然に任せておけばいいと思っている。働きの割に安ければ、人は次第にその方の労働に行かなくなる。となれば、本当に必要とされれば、その労賃は高くなって行く筈である。

 世の中は、何千何百という労働がある。好き嫌いもある。同一賃金にするなんて、かつての社会主義の国ではあるまいし、厳蜜な意味ではできないと思う。第一そんなことに労力と論争を繰り返して、何の益があるか。

 割に合わない仕事には人は行かなくなる。一時的には、そういう状態はあると思うし、又、しょっ中、あちこちに出来ると思う。ただ、法令をもって規制すべきことかな、と思うし、第一、実施となると、果しない論争を巻き起こすに違いない。ほっておけばよい。目に余る低賃金を強制しているとすれば、それこそ勧告したらいい。

 幸い、今は人手が足りなくなっている。職業にもよるが、概して、そう言えるのではないか。自然に均して行ける筈である。

 三年前の東北の災害の時も、人手不足につけこんで、やの字の人々が大へんひどい搾取をやったという。そういう事実は、一寸調べれば明らかになることである。とんでもない搾取は、それこそ、許してはならない。実際そんなことが横行したと言うではないか。ありうると思う。こういうことこそ、取り締まるべきであると思う。

 わかったら容赦なく捕まえて、厳罰を加えたらよい。企業から受け取る賃金の一割程度しか払わない例もきいている。誰に聞いたっていいこととは思われない。厳罰に処すべきである。

 

 私は、日本の少子化現象は、それこそ放置しておけないことを、どこへ行っても話すことにしている。

 少子化は少子化でとどまらない。今の少子は、大人になるが、彼等が増える筈はないから、又、少子化が進むに違いない。

 この問本を読んでいたら、日本人の数は三百年後には、四百万人になって仕舞う、と書いてあった。横浜一市の人口にチョット足したぐらいの数である。

 数は力なり、というが、こんなヨーロッパなどの小国の人口と同じ位の数の民族となって仕舞えば、何ができるというのか。

 もうその頃は、われわれは生きているわけはないから、そんなことは心配しなくてもいいのかも知れないが、それでは余り可哀相ではないか。

 どうしたら、生まれてくる子の数を増やせるか。もう一応にも、二応にも、人智を盡して対策を考えるべきではないか。

 子供が生まれて来ない原因はいろいろ考えられるが、もうわかっていることばかりではないか。しかし、生まれて来ないのは、どういう現象なのか。

 嫌われるのを承知で言うと、私は、もう過疎対策などに力を入れることは止めて、大都会中心で成り立って行くようにするしかないと思っている。

 何故、今でも、地方がさびれて、東京を初め大都会に人が集ってくるのか。

 大都会に行けば、何をしても食べられるし、大都会には何でもある。住みやすいし、楽しいし、周囲を気にすることはないし、その他個人とっては、いい環境ではないか。北海道などではいい例である。道全体の人口は増えているのに、札幌は終戦時の何倍にもなっている。今や二百万都市である。

 力を入れて、金を投じて、人口を増やそうとしても、大都会を変えることができないとなれば、流れに従って、人の住み易い町を中心に、子供を増やしていくことを考えるしか方法はないのではないか。

 行政の面から言えば、今の四七都道府県はたしかに多すぎる。大東京、大大阪でもよい。こういう大都市を中核として、都市政策を建てて行くべきではないか。

 その意味で道州制は賛成である。それは過疎地の切り捨てではないか、と言われれば、正直にそうだと言わざるをえない。日本の生きるためには、そうでもするしか仕方がないではないか。

 そして、外部に対しては針ねずみのように固い、武装化を整えておくべきである。お隣あたりから飲みこまれて仕舞わないように。

    29・2・3

 事態を正確にするよりも、問題点を明らかにすることをポイントにして書かせて貰います。

 企業などの長時間労働が原因で従業員が自殺をしたという訴訟をきっかけとして、法律をもって現在青天井となっている残業時間に上限時間を設ける方向で政府部内で議論が本格的に進められている。

 私も労働時間を適正な範囲内に抑えることの趣盲に反対するものではないが、私自身時には月二〇〇時間を超える超過勤務を余儀なくされていた現場で働いていた経験を持っているだけに全く無条件で賛成し難いものを感じるのである。

 その現場では、例え超過勤務時間が二〇〇時間を越えようと予算の関係で月六〇時間で打切りという習慣になっていた。

 月給の額にもよるだろうが、超過勤務手当はかなりの収入となるので、無闇にこれを抑えられることは反対であったし、屡々この手当が欲しいばかりに日中はだらだら仕事を延ばして退出時間を遅くするようなこともあったし、この手当は大切な給与の一部と考えられてもいた。当然である。

 長時間労働が主たる原因で亡くなった人の屍に笞打つ気持は全くないが、そのような人は他に選択の道はなかったか、どうか。何か別の原因があったのではないか(例えば、家庭内の不和など)、よく調べてみる必要があると思っている。

 要は働く本人の考え方が一番問題なのであるし、いくら辛くっても長時間労働をしても給与が多い方がよいと思っている人もあると思う。一律に法律をもって、罰則つきで上限を規制する必要があるのか、という疑問を拭えないのはいけないだろうか。

 無暗に規制すると、仕事を家にもって歸る、しかも、手当も貰えないことになる懼れすらあるのではないか。