近頃新聞は書き立てている。反対ではない。しかし、問題があり過ぎる。
第一、労働が同一であるとか、ないとかを、誰が認識をするのか。かりに出来たとしても、どうやって規制をするのか。
私は、自然に任せておけばいいと思っている。働きの割に安ければ、人は次第にその方の労働に行かなくなる。となれば、本当に必要とされれば、その労賃は高くなって行く筈である。
世の中は、何千何百という労働がある。好き嫌いもある。同一賃金にするなんて、かつての社会主義の国ではあるまいし、厳蜜な意味ではできないと思う。第一そんなことに労力と論争を繰り返して、何の益があるか。
割に合わない仕事には人は行かなくなる。一時的には、そういう状態はあると思うし、又、しょっ中、あちこちに出来ると思う。ただ、法令をもって規制すべきことかな、と思うし、第一、実施となると、果しない論争を巻き起こすに違いない。ほっておけばよい。目に余る低賃金を強制しているとすれば、それこそ勧告したらいい。
幸い、今は人手が足りなくなっている。職業にもよるが、概して、そう言えるのではないか。自然に均して行ける筈である。
三年前の東北の災害の時も、人手不足につけこんで、やの字の人々が大へんひどい搾取をやったという。そういう事実は、一寸調べれば明らかになることである。とんでもない搾取は、それこそ、許してはならない。実際そんなことが横行したと言うではないか。ありうると思う。こういうことこそ、取り締まるべきであると思う。
わかったら容赦なく捕まえて、厳罰を加えたらよい。企業から受け取る賃金の一割程度しか払わない例もきいている。誰に聞いたっていいこととは思われない。厳罰に処すべきである。