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前にも書いた事があるが、シーハはプレアデス人である。

 

まあ、そういう事になるのだろう。

 

 

シーハは保江邦夫のところにいた。

 

他に行くところもないだろうから、多分、今もいるのだろう。

 

保江邦夫は時間の問題でノーベル賞を受賞すると言われている理論物理学者である。

 

そのような天才が、自分はプレアデスからやって来たと言っている。

 

天才の言でなければ、ただの頭のおかしい人で終わる話ではある。

 

 

プレアデスと言えば、谷村新司の故郷、昴である。

 

そして、もう一人、矢作直樹もまたプレアデスを名乗っている。

 

矢作直樹とは、東大名誉教授で医師である。

 

 

オウムが前世がどうのこうのと言ってもバカにされるだけだが、このような優秀な人々に前世がプレアデスと言われたら、もはや否定できまい。(笑)

熱中症の後遺症は、結構酷い症状が出るみたいだ。

 

しかも、それが何か月も続く。

 

これにはプラーナーヤーマが役に立たないだろうか。

 

 

最初は鼻から1、2で吸って、口から3、4で、はぁ~と吐く。

 

これを1分間。

 

ここまでが第一段階。

 

 

1分間出来るようになったら、2分、3分と伸ばしていき、5分まで持っていく。

 

ここまでが第二段階。

 

 

5分間できるようになったら、次は鼻から吐くようにする。

 

ここまでが第三段階。

 

 

次は、1、2、3で吸って、4、5、6で吐く。

 

ここまでが第四段階。

 

 

次は、1、2、3、4で吸って、5、6、7、8で吐く。

 

ここまでが第五段階。

 

 

最後に、4秒間のクンバカを加える。

 

ここまでくれば、かなり体力も回復しているんじゃないかと思う。

 

 

世間に溢れているオウムの情報は、半分以上が間違っている。

 

まあ、世の中とはそういうものだろう。

 

それは何もオウムに限った事ではない。

 

が、しかし、せめてオウム関係者(どこまでが関係者なのか、知らんけど)は正確な情報を発信してもらいたいものだ。

 

 

で、オウムと名乗っていたのはいつなのかである。

 

84年 オウムの会

86年 オウム神仙の会

87年 オウム真理教

 

ここで勘違いしやすいのが、真理教ではあるけれど、宗教法人ではないという事だろう。

 

認証を受けたのは、89年である。

 

東京都庁突撃。

 

懐かしいなあ。(笑)

オウムの幹部の皆さんと違って、うちは貧乏だった。

 

なので、親は「欲しがりません。勝つまでは。」とか、「月月火水木金金」を引きずって生きていた。

 

そもそも、足る事がないので、足るを知る事が無かった。(笑)

 

 

小学生のとき、先生が黒板に、「われただたるをしる。」を書いた。

 

まあ、京都なのでそれはそうだろう。

 

一般的には枯山水の石の配置のほうが有名かもしれない。

 

 

上に吾、右に唯、下に足る、そして、左に知る。

 

寛永通宝か!(笑)

 

そんなものかと思ったが、ご飯が食べられればそれでいいか。

 

そんな感じだった。