足るを知る | 法友(とも)へ

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オウムの幹部の皆さんと違って、うちは貧乏だった。

 

なので、親は「欲しがりません。勝つまでは。」とか、「月月火水木金金」を引きずって生きていた。

 

そもそも、足る事がないので、足るを知る事が無かった。(笑)

 

 

小学生のとき、先生が黒板に、「われただたるをしる。」を書いた。

 

まあ、京都なのでそれはそうだろう。

 

一般的には枯山水の石の配置のほうが有名かもしれない。

 

 

上に吾、右に唯、下に足る、そして、左に知る。

 

寛永通宝か!(笑)

 

そんなものかと思ったが、ご飯が食べられればそれでいいか。

 

そんな感じだった。