修行者から見れば | 法友(とも)へ

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野田正悟師のブログについて書いておこう。

 

まあ、元オウムで修行者なんて誰もいないんだなあ、という悲しみを込めて(笑)

 

 

苫米地博士の空がトップで矛盾がボトムという考え方は宇宙についての考察だろうと思うが、一般人が考えるとこうなるのかなと思う。

 

修行者にとっては、この宇宙には矛盾は何もない。

 

なぜなら、矛盾していると言っているのは人間だけ、それは個人の観念に過ぎないからだ。

 

だからこそ、タントラヤーナの修行者に観念の崩壊が必要なのだが、もちろん一般人にはそんなものは必要ない。

 

 

一つ例を挙げるとすると、人を殺していいという自由はないのに戦争が起きている。

 

矛盾している。

 

というものがある。

 

これについて、修行者はこう考える。

 

人を殺していいという自由があるはずだ。

 

そうでなければ戦争が起こる事の説明がつかない。

 

全く矛盾が無い。

 

論理的に考えるなら中学生にでも簡単に答えが出せそうなものだが、大の大人が微塵もこの考え方に触れる事が出来ない。

 

 

それにそもそも、定義するも何も空とは実態が無いという意味である。

 

まあ、これはよくある事なのだが、ひとつの単語に複数の意味を持たせているので、文脈によってどの意味なのかを判断する必要はある。

 

普通は単に空と言った場合、その意味は「実態が無い」である。

 

 

まあ、これは麻原から智慧があるとして自由に行動する事を許され、今生最終解脱する魂であると認められた直弟子の戯言だと、一般人は思うのだろう。(笑)