教義と修行体系40 | 法友(とも)へ

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勘違いをもう一つ。

 

それは、私が解脱すると思っている事である。

 

残念ながら、私は解脱しない。

 

 

苦悩からの開放を考えるとき、苦しんでいるのは私である。

 

その苦しみは相対的なものであり、私は相対の世界の中にいる。

 

対して、解脱は絶対の獲得である。

 

全ての苦しみが消え去る絶対幸福は、相対の世界には無い。

 

したがって、私は絶対の獲得である解脱を、絶対に達成できない。

 

当たり前すぎるほどの当たり前の理屈である。

 

 

そこで、次に考えることは、では誰が解脱を達成するのか?

 

解脱したいと思っているのは誰か?

 

私は誰か?

 

である。

 

 

この、私は誰かについては割と簡単に答えが出るはずだ。

 

ただ単に論理的思考を積み重ねればいいだけだからだ。

 

しかし、論理的思考が苦手な人にとっては、答えにたどり着くのは相当に難しいだろう。

 

さらに、その答えが見つかった後に、本格的な私は誰かと問う実践が始まるのだ。