勘違いをもう一つ。
それは、私が解脱すると思っている事である。
残念ながら、私は解脱しない。
苦悩からの開放を考えるとき、苦しんでいるのは私である。
その苦しみは相対的なものであり、私は相対の世界の中にいる。
対して、解脱は絶対の獲得である。
全ての苦しみが消え去る絶対幸福は、相対の世界には無い。
したがって、私は絶対の獲得である解脱を、絶対に達成できない。
当たり前すぎるほどの当たり前の理屈である。
そこで、次に考えることは、では誰が解脱を達成するのか?
解脱したいと思っているのは誰か?
私は誰か?
である。
この、私は誰かについては割と簡単に答えが出るはずだ。
ただ単に論理的思考を積み重ねればいいだけだからだ。
しかし、論理的思考が苦手な人にとっては、答えにたどり着くのは相当に難しいだろう。
さらに、その答えが見つかった後に、本格的な私は誰かと問う実践が始まるのだ。