数ある勘違いの中で、最も大きなものが絶対に対するものである。
我々は常に相対の中にいるので、相対の中での絶対を本来の意味での絶対と取り違えてしまう。
相対はどこまでいっても相対のままで、相対が変化して絶対になることはない。
変化しないからこそ絶対なのだ。
私に関するものもまた大きい。
私と私自身を同一視してしまっている。
私は私であって、私自身ではない。
私自身は私自身であって、私ではない。
また、私自身は「私自身」であって、「私」自身ではない。
次が、心に関するもの。
心と心の本然を同一視してしまっている。
心は心であって、心の本然ではない。
心の本然は心の本然であって、心ではない。
また、心の本然は「心の本然」であって、「心」の本然ではない。
中学生程度の文章読解力があれば簡単に分かることを、なぜだかオウム関係者は誰も理解することが出来ない。(笑)
理解できないまま修行だのどうのこうの言ってみても、正しい努力が出来ていないのだから、当然に結果は出ない。