教義と修行体系39 | 法友(とも)へ

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数ある勘違いの中で、最も大きなものが絶対に対するものである。

 

我々は常に相対の中にいるので、相対の中での絶対を本来の意味での絶対と取り違えてしまう。

 

相対はどこまでいっても相対のままで、相対が変化して絶対になることはない。

 

変化しないからこそ絶対なのだ。

 

 

私に関するものもまた大きい。

 

私と私自身を同一視してしまっている。

 

私は私であって、私自身ではない。

 

私自身は私自身であって、私ではない。

 

また、私自身は「私自身」であって、「私」自身ではない。

 

 

次が、心に関するもの。

 

心と心の本然を同一視してしまっている。

 

心は心であって、心の本然ではない。

 

心の本然は心の本然であって、心ではない。

 

また、心の本然は「心の本然」であって、「心」の本然ではない。

 

 

中学生程度の文章読解力があれば簡単に分かることを、なぜだかオウム関係者は誰も理解することが出来ない。(笑)

 

理解できないまま修行だのどうのこうの言ってみても、正しい努力が出来ていないのだから、当然に結果は出ない。