オウム時代には、200回以上の説法を行った。
おそらくだが、教団内では説法の上手さは飛び抜けていたと思う。
麻原がそうであったように、僕も一度もメモを見ながら話をしたことがない。
予め、頭の中で話を組み立てておくだけである。
話す内容は2つ用意しておく。
そのそれぞれについて、分岐点での内容の変化を3種類、そして結論に持っていく段階での分岐を3種類。
つまり、1回の説法でのパターンを18種類用意する。
これをその場に居る聴衆の反応に合わせて選択していく。
もちろん、場合によってはアドリブも使って、話が思わぬ方向へ進むこともある。
対機説法なのだから、当然のことである。
また、毎日、信徒の悩み相談にも応じていた。
毎日、毎日、じっくりと話を聞き、問題を解決して、励まして送り出す。
実に地味な活動だが、これらが教団を支えるベースになっていた。
世間ではなんでオウムなんかにとか、未だにアレフになどと言われるが、僕から見れば当たり前のことをやっているから人が集まってくる。
そうとしか思えない。