オウムを取り巻く人々⑨ | 法友(とも)へ

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オウム時代には、200回以上の説法を行った。

 

おそらくだが、教団内では説法の上手さは飛び抜けていたと思う。

 

 

麻原がそうであったように、僕も一度もメモを見ながら話をしたことがない。

 

予め、頭の中で話を組み立てておくだけである。

 

 

話す内容は2つ用意しておく。

 

そのそれぞれについて、分岐点での内容の変化を3種類、そして結論に持っていく段階での分岐を3種類。

 

つまり、1回の説法でのパターンを18種類用意する。

 

これをその場に居る聴衆の反応に合わせて選択していく。

 

もちろん、場合によってはアドリブも使って、話が思わぬ方向へ進むこともある。

 

対機説法なのだから、当然のことである。

 

 

また、毎日、信徒の悩み相談にも応じていた。

 

毎日、毎日、じっくりと話を聞き、問題を解決して、励まして送り出す。

 

実に地味な活動だが、これらが教団を支えるベースになっていた。

 

世間ではなんでオウムなんかにとか、未だにアレフになどと言われるが、僕から見れば当たり前のことをやっているから人が集まってくる。

 

そうとしか思えない。