カルマの法則を信じるなら、誰も悪い事などしなくなるはずだが、なかなかそうもいかない。(笑)
なぜなら、その考え方の根拠となる、輪廻転生を実感していないからである。
瞑想体験で実感していれば、ああ、これはまずいなと誰しも思うはずである。
しかし、誰も修行なんかしないのだから、そんな平和な世界など来るはずもない。
そもそも、ダルドリーさえ信じることが出来ないほど、エネルギーの弱い連中ばかりなのだ。
では、輪廻転生とはいったい何なのだろうか?
これは、前にグルっぽでも書いたことがある。
何が輪廻転生するのか?
輪廻転生の主体は何か?
ということである。
まあ、そんな事、誰も考えたことがないよね。(笑)
輪廻転生があると思っている人は、あるものはあると考えるし、輪廻転生がないと思っている人は、ないものはないと考える。
しかし、これはおかしな話だ。
主体が何かもわからずに、それがあるかないかなど、議論のしようがないではないか。
人間というものは恐ろしくいい加減な生き物で、死ぬのが怖いというのも同様で、それが何か分からないのにその答えを決めつけてしまう。
これは麻原が最終解脱していたかどうかというのとも同じで、誰も最終解脱とは何かを知らないのに、ああだこうだと決めつけている。
人間とは不思議な生き物だなあと思うのと同時に、そうなると自分は人間ではないのかな、といつも思う。(笑)