カルマの法則と輪廻転生③ | 法友(とも)へ

法友(とも)へ

ブログの説明を入力します。

カルマの法則を信じるなら、誰も悪い事などしなくなるはずだが、なかなかそうもいかない。(笑)


なぜなら、その考え方の根拠となる、輪廻転生を実感していないからである。



瞑想体験で実感していれば、ああ、これはまずいなと誰しも思うはずである。


しかし、誰も修行なんかしないのだから、そんな平和な世界など来るはずもない。


そもそも、ダルドリーさえ信じることが出来ないほど、エネルギーの弱い連中ばかりなのだ。



では、輪廻転生とはいったい何なのだろうか?


これは、前にグルっぽでも書いたことがある。


何が輪廻転生するのか?


輪廻転生の主体は何か?


ということである。



まあ、そんな事、誰も考えたことがないよね。(笑)


輪廻転生があると思っている人は、あるものはあると考えるし、輪廻転生がないと思っている人は、ないものはないと考える。


しかし、これはおかしな話だ。


主体が何かもわからずに、それがあるかないかなど、議論のしようがないではないか。



人間というものは恐ろしくいい加減な生き物で、死ぬのが怖いというのも同様で、それが何か分からないのにその答えを決めつけてしまう。


これは麻原が最終解脱していたかどうかというのとも同じで、誰も最終解脱とは何かを知らないのに、ああだこうだと決めつけている。



人間とは不思議な生き物だなあと思うのと同時に、そうなると自分は人間ではないのかな、といつも思う。(笑)