アンソニー トゥーは、94年9月から捜査協力を行っている。
そのため比較的早い段階で、使用された毒ガスがサリンであると特定されている。
この事実は、オウムにとって麻原にとって、明らかに大きな誤算だったのだろう。
当時の日本において、警察も消防庁もサリンの分析技術を持っていなかった。
オウムでさえ持っていた、簡易型の毒ガス分析装置さえ持っていなかったのだ。
アンソニー トゥーの協力がなければ、オウムは次々に毒ガスを使った事件を起こし続け、その毒ガスが何なのか判明しないまま捜査は暗礁に乗り上げ、凄まじいまでの被害を東京にもたらしていただろう。
麻原はこんなにも早く、毒ガスがサリンだと特定されるとは予想していなかった。
そのため、当時経営難だった内外タイムスに資金援助をし、杉浦弟に「多分それはタブン。」
というふざけた記事を書かせている。
これは地下鉄サリン事件の被害者達が、刺激臭がしたと証言したためだ。
サリンは無臭であるために、刺激臭がしたのであれば、それはサリンではないという理屈である。
しかし、実際には、サリン自体は無臭であっても、使用されたサリンの純度が低かったために、不純物による刺激臭があったのだ。
だが、この時既に、警察はそれがサリンであることを特定していたのだ。
地下鉄に撒かれた毒ガスは、100%サリンで間違いがない。
そして、その分析方法を警察に教えたのが、アンソニー トゥーである。
松本サリン事件の発生が6月27日。
アンソニー トゥーへの協力要請が9月19日。
素人考えでは明らかに遅いように思える。
まあ、日本の警察の事だから、捜査が先で分析は後回しという事だったのかも知れない。
9月20日に30枚にもおよぶ分析方法が警察へと送られる。
警察と違って、アンソニー トゥーの行動は素早い。(笑)
9月21日にその方法を知った警察は分析を開始し、10月には使用された毒ガスがサリンであることが判明する。
過ぎてしまった事ではあるが、この最初の遅れがなければ、間違いなく地下鉄サリン事件は防げていたと思う。
このオウム最後の事件があるとなしでは、オウムに対する印象は大きく変わっていたのではないだろうか。