94年10月に分析方法を確立した警察は、まもなく第7サティアン付近の土の中から、サリンの残留物を発見する。
読売新聞のスクープ記事が95年の1月だから、それよりも3ヶ月も早く、警察はオウムがサリンを製造している事を知っていたことになる。
サリンは空気中での採取は無理であるらしい。
なぜなら短時間で分解されてしまうため。
ここが核兵器と違うところで、後に残らないために戦争の道具として優れている。
しかし、空気中では分解されてしまうサリンも、土の中では安定した物質(メチルホスホン酸)に変わる。
警察が採取したのがこのメチルホスホン酸であり、オウムがサリンを製造している動かぬ証拠となった。
そしてここでも疑問が生じる。
なぜ警察は、早い段階でオウムがサリンを作っていることを知りながら、強制捜査を遅らせたのだろうか。
94年10月の段階で、強制捜査を行うのに十分な証拠が揃っているように思う。
強制捜査が遅れたために、地下鉄サリン事件が起こってしまった。
これは明らかな警察の失態である。
個人的な考えだが、この失態は警察のプライドと恐怖が生んだものであるように思う。
地下鉄サリン事件で除染を行ったのは、警察ではなく自衛隊である。
警察には毒ガスに対する装備が何もなかったのだ。
そのためオウムが毒ガスを使ったらという恐怖があり、腰が引けてしまった。
警察は自衛隊に協力を要請すればいいだけの事だったのだ。
たったそれだけの事なのに、プライドが邪魔をして自衛隊に頭を下げることが出来なかった。
この警察の怠慢が、結果的に地下鉄サリン事件を引き起こしてしまう。
まったく情けない話だ。