とりあえずカエルの事は置いといて、
ここ数年だろうか、ど根性と名の付く野菜が話題に上るようになってきた。
都会の片隅で、道路の割れ目から、白菜やダイコンさらにはスイカまでが大きく育っているのである。
たいしたもんだねえ。
が、しかし、ここでひとつの疑問が湧く。
その種は一体どういうことになっているのだろう。
スイカなど前の年に食べたスイカの種を捨てておいたら、大きく育ったということになっている。
実に不思議な事だ。
皆さんご存知の様に、最近の野菜はそのほとんど全てと言っていいほどにF1である。
F1から採った種は非常に軟弱であり、発芽こそするがまともな実がなる事はない。
そのため農家は毎年新しく種を購入し続けなければならない。
これが種苗会社の継続的な利益となる。
しかし、そんなデメリットと同時にF1を使うことは、農家にとってはメリットがある。
F1は条件が同じなら一斉に発芽し、収穫時期も同じで形や大きさも揃う。
1年を通しての計画的な生産が可能になるのだ。
そんな便利なF1とは対照的に、固定種は実に個性豊かである。
発芽時期がバラバラなら収穫時期もバラバラ。
おまけに実の形も大きさもバラバラである。
しかし、固定種にはF1にはない絶対的な強みがある。
実から種を採って、翌年また撒く事が出来るのだ。
そして世代を経るごとに、その土地に合った性質を持つようになる。
F1にはまだ未確認ながらも、大きく問題視されていることがある。
F1から採った種では実がならない。
つまり不妊なのだ。
その不妊の遺伝子を持つ野菜を食べ続けることで、人体にも影響があるという考え方である。
ここからさらに突っ込んで、F1からの選抜淘汰された種も存在する。
桃太郎から取り出されたアロイトマトが有名だが、このアロイトマトは完全に固定種になっている。
しかも、桃太郎の優れた部分を引き継いでいる。
というわけで、その大きく育ったスイカから種を採ったらどうだろうか。
数世代を経るうちに、優れた固定種になるのではないかという気がする。
それはもちろんスイカに限った事ではなく、他の野菜についても同じである。
テレビのニュースもアホみたいにど根性、ど根性と連呼するだけではなく、専門的な解説は無理でも多少なりとはまともな解説が出来るようになってもらいたいものだ。
野菜の種にはF1と固定種のふたつが存在することぐらいは、最低限の常識として知っておいてもらいたい。
これはオウム関連のテレビ番組でも同様で、少しぐらいは教義を理解しろといつも思ってしまう。