コメントがあったので書いておこう。
仏教経典はとりあえず読まなくていい。
まあ、仏教学者になりたいとか、学問として学びたいというのであればその限りではないのだが。
修行者には仏教経典はとりあえず必要ない。
読むのなら、真我の概念を理解してからでいい。
そうでなければ、ただ混乱するだけだろうと思う。
修行者に必要なのは、知識ではなく実践だ。
前にも書いたと思うが、真我は無我ですか?それとも非我ですか?
というのがある。
これは要するに、メロンはリンゴですか?それともミカンですか?
と聞いているのと同じである。
解かる人には解かると思うが、メロンはリンゴでもなければミカンでもない。(笑)
仏教経典マニアというのは、これをリンゴだミカンだと延々とやっているのだ。
メロンはメロン、真我は真我である。
真我はそのまま理解する以外に方法がない。
知識や観念は邪魔になるだけなのだ。
麻原は、「真我は無我でも非我でもない、越我である。」
と言ったが、これは非常に面白い表現である。
真我の概念を理解できない者には、とりあえずこの答えでいいのだろうと思う。
まあ、要するに麻原は、「メロンはリンゴでもミカンでもない。」
「キュウリだ。」
と答えたという事だ。(笑)