プルシャを落としました16 | 法友(とも)へ

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汲み取り業者が帰っていった後で、V師から汲み取ってくれますよねと聞かれた。


業者のおっちゃんたちは二度と来ないとのたまっていたので、そういう状況になっても大丈夫ですよね、という確認だ。


知らんがな!



何度も繰り返し書いているので、読者の皆さんも見飽きていると思うが、私のワークは汲み取りではない。


断じて、無い!




まあ、しかし、最近は地震や台風などの災害のたびに、ライフラインという言葉を聞く機会も増えてきたが、これを断たれると生きていくのは非常に困難となる。


電気・ガス・水道という入力のライフラインはもちろん重要だが、下水道や糞尿の汲み取りという出力のライフラインもまた重要である。


これが都会だと、下水のマンホールをそのままトイレとして使用するという方法があるが、オウム施設というものは大抵は田舎にあり、下水はおろか上水道もないような場所に建てられている。



このライフラインを断たれた状況の中にあるのがオウム施設の特徴というものであり、それらの中でも特に厳しい状況にあったのが波野村である。


あそこには、入力も出力も、ありとあらゆるライフラインがなかった。


汲み取り業者が来るはずも無く、そのため浄化槽を備えた水洗トイレを設置してはみたものの、流すための水が無く、汚物が山積みになり便器から溢れ出していた。



食事を作るための水や飲み水が優先であり、トイレの水に回す余裕はなかった。


もちろん風呂になど入れるはずも無い。


そして、水があるといっても綺麗な水などなく、緑色の藻が繁殖した濁った水しかなかった。


今から考えれば、まあ、みんな、よく生きていたものだなと思う。