こんな面倒くさい作業が出来るなんて、高橋 克也も大したものだなと思う。
一般人には到底不可能だろう。
そんなこんなで、時間のかかる作業を続けていると、富樫がやって来た。
第一声が「何もたもたしてんだよ、役に立たねえなあ。」だった。
まあ、正直、なんだこいつと思ったが、言葉には出さない。
富樫は他の信徒がハンダ付けした基盤をしばらく見ていたが、「間違ってんじゃねえかよ。やり直せ。」と吐き捨てて出て行った。
オウムにはこういった傲慢な幹部が多いのであり、出家生活においてはよくあることなのだが、当時僕はまだ信徒なのでそんな事は知らなかった。
なので、頭にきて基盤ぶん投げて帰ろうかと思ったのだが、高橋 克也があまりにもいい人だったので、思いとどまることにした。(笑)
しょうがないので配線図を見て間違っているところを付け直し、高橋 克也にチェックしてもらって「はい、大丈夫です。」ということになった。
というわけで、大幹部の富樫大先生のおっしゃるとおりの役立たず達は道場へと戻ることになった。
まあ、それでもなんだかんだで作業は進んだらしく、アストラルテレポーターのお披露目の日がやってくることとなる。
アストラルテレポーターが初めて実際に使われたのは、血のイニシエーションの場においてである。
当時麻原は山梨県内のペンションを借りて、石井のお世話の元で長期修行に入っていた。
もちろん、血のイニシエーションに向けて、エネルギーを浄化し強めておくためである。
血のイニシエーションを受け終えた信徒30名は、スピーカーが配置された薄暗い部屋の中で、初公開のアストラルテレポーターによる音のイニシエーションも受けたのである。
この時に作業と調整をしたのが高橋 克也である。
が、しかし、まだこのときは4チャンネルだけの、完成途中の段階だった。
まあ、何と言いましょうか、何の効果も無く、失敗!
うるさいだけ、という感じで終わった。