ロシアツアー41 | 法友(とも)へ

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人間の腕というものは曲げることも伸ばすことも自由自在。


まったくもって便利な代物である。


肘の可動域は180度とは言わないまでも、150度ぐらいはあるのではないだろうか。



ところがである。


腕ひしぎ逆十時を食らった腕は動かないのだ。


中途半端な角度で固まったまま、伸ばすことも曲げることも出来ない。


可動域は30度ぐらいだろうか。



まあ、警備班のワークでは手先の器用さを求められる事はないので、特に支障があるわけではない。


問題は食事の時である。


右手が口に届かないのだ。(笑)


手首を内側にひねり、口の方から手首に噛み付くようにして、ようやく届く。



小乗の修行者なら、食べなければいいだけの話ではある。


むしろ有難いと感謝するところなのだが、警備班はヴァジラヤーナである。


たくさん食べることが重要なワークなのだ。



まさに観念の崩壊。


小乗とヴァジラヤーナでは、真逆の考え方になる。


お互いに矛盾する考え方が混在するところが、オウム真理教の教義の特徴である。



で、ここではたと気付く。


わざわざ右手を使わなくても、左手が空いているではないかいな!


空いててよかった。



僕の場合利き腕が右手なので、日常生活においてあまり左手を意識しない。


しかし、使ってみると左手ってとっても便利だ。


これで当座の問題は解決された。


右手の傷は、いずれ時間が解決してくれるだろう。