人間の腕というものは曲げることも伸ばすことも自由自在。
まったくもって便利な代物である。
肘の可動域は180度とは言わないまでも、150度ぐらいはあるのではないだろうか。
ところがである。
腕ひしぎ逆十時を食らった腕は動かないのだ。
中途半端な角度で固まったまま、伸ばすことも曲げることも出来ない。
可動域は30度ぐらいだろうか。
まあ、警備班のワークでは手先の器用さを求められる事はないので、特に支障があるわけではない。
問題は食事の時である。
右手が口に届かないのだ。(笑)
手首を内側にひねり、口の方から手首に噛み付くようにして、ようやく届く。
小乗の修行者なら、食べなければいいだけの話ではある。
むしろ有難いと感謝するところなのだが、警備班はヴァジラヤーナである。
たくさん食べることが重要なワークなのだ。
まさに観念の崩壊。
小乗とヴァジラヤーナでは、真逆の考え方になる。
お互いに矛盾する考え方が混在するところが、オウム真理教の教義の特徴である。
で、ここではたと気付く。
わざわざ右手を使わなくても、左手が空いているではないかいな!
空いててよかった。
僕の場合利き腕が右手なので、日常生活においてあまり左手を意識しない。
しかし、使ってみると左手ってとっても便利だ。
これで当座の問題は解決された。
右手の傷は、いずれ時間が解決してくれるだろう。